最近の関心事項は古代インド哲学と日本仏教です。
今回はカーマスートラが仏教に与えた影響を考えています。
具体的には、瞑想LOVEをご覧いただければ、ハッピー!
水天需の九二
困難はあるが、悠然と待てば必ずとおる。
小言を言われるだろう。
しかし、うろたえず、ゆったりと待てば吉。
急進することなかれ。
グチグチ
なんだか、書けないなぁ。
スランプだなぁ。
このブログもなんだか、エラーが出るし。
ふーむふーむ。
でも、文章を書き続けるのが好き。
え、易で考えよう!
般若心経とサンスクリット語
日本人にもっとも知られていて人気があるのが般若心経ですよね。
でも、その般若心経は中国語で書かれていて、けっこう難解です。
サンスクリット語の原典の方が明解
インド哲学の勉強をして、サンスクリット語もなんとなく読めるようになってきたので、般若心経のサンスクリット語原典と中国語版の般若心経を比べてみたんだ。
すると、中国語版は、ちょっと翻訳に怪しい部分が見つかったんだ。
詳しくは、ブログ『瞑想LOVE』に書きました。
ポメラの二画面ビュー
ポメラには2つの2画面ビューがあります。
ご存知ですかねぇ。
ポメラの比較と分割の違い
ポメラには「比較(2つのファイルを二画面表示)」と「分割(1つのファイルを二画面表示)」があります。
ポメラの比較は執筆用
もう、使い方はお分かりですよね。別の文書をそれぞれ表示して、参照りながら執筆するのが「比較」です。もちろん、それぞれのファイルを書き換えることもできます。下書きを見ながら、もしくは台割(目次立て)を見ながら、本文を書くというのに適しています。
ポメラの分割は校正用もしくは長文執筆用?
一方の「分割」は、1つのファイルを二画面表示する機能です。これは、1つの文書(ファイル)の編集前・編集後を比較できるので校正に適しています。どこまで直したか分からなくなりがちなのが校正作業ですよね。でも、実際には校正前と後で別名保存した方が便利なので、公正でも前述の「比較」を使った方がいいですね。
むしろ、分割は長文執筆の時に、前の方の文書を見ながら後ろを書くというのが本当の使い方だと思います。
読者との交流増えてます
おはようございますよ。
Facebookの友達申請は大歓迎!
読者の方から、Facebookにお友達申請を頂いております。
はい、大歓迎です。
本の内容に質問を頂くこともありますし、お互いに情報交換させて頂くこともありますし、本当の意味でお友達になってくださる方もいます。
もちろん、このブログをフォローして頂くの、大変嬉しゅうございます。
情報交換できる仲間がいることは、物書きにとって非常にプラスになることです。
もちろん、「金出して本買ったんだから、何でも答えろ!」には対応できないかもしれません。
本当の意味で、お互いに、仲間だ友達だと思えるかどうかですよね。
広告クリックが私の原稿料。よろしくお願いします。
アイデアを形にする技術研究
アイデアは面白いのに書くと面白くない、という話をしてきました。
そこで、アイデアをどのように形にするのか、その部分を考えています。
落書き帳で一気に解決
ノートやメモの取り方の工夫でいろいろなことが起きますね。
そこで、自分のネタ帳やアイデアノートを分析し、見直してみました。
僕の主な仕事はアイデアを提供するものです。特にテレビCM・ラジオCMが多いので、本当にたくさんのアイデアを出して、クライアントと打ち合わせをします。
その時に採用になるアイデアと、その元になっているノートの相関関係を見つけてみました。
ありましたよ、素晴らしいアイデアが生まれる法則が。
ということで、このブログでも徐々にお話ししたいと思います。
落書帳の研究
このところ、紙のメモ帳とポメラの組み合わせで執筆活動をしています。
まだまだ効率が上がるんじゃないかと、やり方を再点検しています。
落書が素晴らしい
子供は落書きが大好きです。あれが子供の想像力や様々な表現能力、理解力を高めていると考えられています。
そこで、ぼくも落書きを楽しんじゃおうということで、落書きの研究を始めました。
メモ帳の使い方の工夫からスタートします。
おお、落書には清書が必須だ
落書きをして気づくのが、ほんの30分前に「これは面白ぇ」と思って書いたものが、あとで全然解読できません。あはは、ダメだこりゃ。もっときれいに書かないとダメなのですが、ところが綺麗に書いちゃうとアイデアが阻害されちゃう。
ということで、落書きは書いた直後に清書が必要だとわかりました。
そこで、落書帳の使い方の工夫をします。
左ページにだけ落書きだ
メモ帳の使い方は、左ページにだけ落書きを書きます。
右ページは使わずに空けておきます。
そう、わかりますよね。後で右ページに清書やまとめを書き込みます。
潜在意識との対話が始まる
これをやり始めると、けっこう楽しいです。
落書きは、別人に感じます。でも、自分ですよね。
落書きを一生懸命に判別していると、何か天才と対話してみるみたいで面白いです。
ぜひぜひ、お試しあれ。
温泉施設で軽く執筆だよ
温泉施設が近所にありまして、湯楽の里ですね。
けっこうのんびりできるので、ここで軽く執筆することがあります。
耐水メモと加圧ペンで執筆
実はお風呂の中でも書いています。
本当は防水のiPhone X で書きたいのですが、電子デバイスは持ち込み禁止です。
そこで、僕は耐水メモと水の中でも書ける加圧ペンを使って、アイデアをメモしています。サウナの中でも書けますよ。
コクヨの測量野帳の耐水メモ
耐水メモは何種類も出ています。お好きなサイズを選べばいいと思います。ぼくはコクヨの測量野帳の耐水メモを使っています。250円くらいだったかな。 理由は、メモ紙を綴じる部分がのり付けというか圧着だからです。他のメモ帳は針金のグルグルで綴じられているので、サウナで金属部分が熱くなっちゃうのです。
ペンはAir Press
ペンはAir Pressを使っています。500円くらい。これは、ノック式のボールペンで、ノックする時にインクに加圧します。だから、逆さまでも書けるし、インクが出にくい水中でも大丈夫。ベッドで寝ながらメモする時もこのペンです。
アイデアは面白いのに
アイデアは面白かったのに、書いてみると面白くないということがよくありますよね。
文章が上手くなればいいのか?
若い時には、それは書く技術が乏しいからだと思って、文章の練習をたくさんしました。幸いにも若い時から雑誌の仕事があったので、かなり鍛えられました。
でも、あまり関係ありませんね。
文章が上手くなると、面白くないことでも面白く書けます。
雑誌に取り上げるネタなんてものは、面白くないのです。それが面白く思えるのは書き手や編集者の腕です。
アイデアが面白いというのは思い込み?
次に思うのが、もともとアイデア自体が面白くなかったんじゃないか、ということです。つまり、自分で面白いと思い込んでいるだけで、本当は大したアイデアじゃないだろうということです。
確かに、それはそうかもしれません。
長い間、僕は頭の中にあるアイデアというのは、自分が思うほど面白いものじゃない、と考えてきました。若手の脚本家などにも、そう教えてきました。
でもなぁ、やっぱり、ふいに思いついたアイデアって、実は本当に面白いですよねぇ。
言葉の限界を知ろう
最近、インド哲学に凝っているというか、サンスクリット語も学んでみると、実は頭の中にあるアイデアこそが最高で、それを言葉にすると面白くないということなんだと気付きました。
いえいえ、文章力が足りないという話じゃないのです。
たとえば目に映る景色を言葉にしよとしても、結局は無理がありますよね。大自然を見る時、目には何百何千何億もの物が目に映っています。でも、それを言葉にすると「素晴らしい」「美しい」「これまで見たこともない」なんてことになっちゃう。そうかと言って「右上の雲は白から灰色に変化しつつ北から南へ時速15キロで流れており、その下には杉が80%の森林があり」なんて書き続けても、決してその景色を見た瞬間の思いは伝えられません。 これは言葉の持つ限界ですね。
アイデアは面白いを信じよう
ということは、自分の中にあるアイデアも大自然の景色も同じじゃないでしょうか。
本当はすごく面白いのに、それを言葉にするのが難しい、そういうことです。
では、どうしたらいいのか。
景色を表現する場合、上記のように「右上は~」なんて描写しても駄目ですね。じゃあ、どうするのか。読者の頭の中にある典型的な「美しい景色」を思い出させるしかないですよね。 つまり、自分の中にある「美しい景色」は見せられないかわりに、相手の頭の中にある「美しい景色」を思い出させる。
ここがポイントです。
無我夢中の執筆感覚
たとえば、
「日本なのに、カリフォルニアの海辺のような空が富士山を覆う」
と書けば、まぁ、相当な青空をイメージできますよね。
でも、これも、まぁ、文章力という技術でしかありません。
気に入った作家の文章を写本でもすれば、身につくと思うのです。
でも、それでも自分のアイデアを言葉にするには、きっと足りないものがあると思うのです。
実は、それは無意識に出た言葉、だと分かってきました。
頭を使って書く、つまり、他の作家の言い回しや資料をベースに書くと、それは先ほどの言葉の限界にぶつかってしまいます。
ところが、小さな子供が何気なく言った言葉なんていうのは、胸に刺さって抜けないくらいですよね。
つまり、何気なく出る言葉を捕らえることが重要なんだと思うのです。
じゃあ、どうやったら何気なく言葉が出るのか。
過去の自分を見てみると、無我夢中で書いた原稿には、そういった何気ない言葉が入っていました。
つまり、無我夢中になるほど、執筆に集中できないと駄目なのです。
ポメラが壊れるほどキー叩け
じゃあ、具体的にどうすれば良いのか。
僕が最も原稿をたくさん書いていた時期は、1ヶ月の連載が14本あって、一ヶ月に書く文字数は40万字くらいでした。取材もありますから、書いている日数は15日くらいかなぁ。ということは1日に2~3万字は書いていますね。
そのくらい書いていると、頭で考えるよりも速く文字を書きます。文字を書くというか、キーを叩くわけです。しかも、ローマ字入力ですから、打鍵は文字数の2倍以上ですよね。 当時はThinkPad230だったかなぁ。IBMのノートパソコンはキーボードが良かったので、愛用していました。そのくらい書くとキートップはつるつるです。 今、僕のポメラDM200も、そうな風になりそうな予感。文章を売ってはEnterキーで確定。確定はハードヒット。気持ちいい!
キートップが禿げるほど叩くと、きっと無意識の言葉、つまり本当のアイデアが文字になるのではないかと思います。