総務省がラジオのAMを廃止してワイドFMに移行しろと騒いでいるけど、そんなことどうでもよくてラジコのエリア縛りを廃止して、世界中から日本のラジオを聴けるようにした方がいいんじゃないの?
ラジコをもっと拡大普及させて、日本の音声コンテンツを世界中へ発信した方がいいんじゃないの?
総務省がラジオのAMを廃止してワイドFMに移行しろと騒いでいるけど、そんなことどうでもよくてラジコのエリア縛りを廃止して、世界中から日本のラジオを聴けるようにした方がいいんじゃないの?
ラジコをもっと拡大普及させて、日本の音声コンテンツを世界中へ発信した方がいいんじゃないの?
ZOOMのH3-VR-VRのファームウェアが2.00にアップデートされたよ。各種のバグ修正と機能追加ですな。
主にBluetooth機能が強化されましたぜ!
すげぇなぁ。外部のタイムコードと同期というかタイムコードをwavに書き込めるようになったのだ。Timecode Systems社のUltraSync BLUEっていうユニットを使って、H3-VRにタイムコードを送り込むんだ。
大きな撮影現場では、複数のカメラの同期をタイムコードで行う。まぁ、パソコンで編集するなら必要ない気もするんだけど、完璧なシンクロが必要とされる場合には、なくてはならない機能だ。多分、アメリカのドラマなどで使われるんじゃないかな。
パソコンへダイレクトに音声を流し込むオーディオIFのオン・オフをスマホから行えるようになった。本体のボタン操作がかなり面倒なので、この機能もちょっとだけありがたい。
アップデート(Playボタンを押しながら起動)すると、初期画面が変わるんだ。Bluetoothユニットが刺さっていると、起動時に「H3 Control」か「タイムコード」かの選択画面が出る。毎回出るので、うざい。基本的にはどっちか使わないんだから、システム設定で選ぶだけで、起動時は前回と同じでいいじゃん。現場でいちいち設定しなければならないので、うざいうざい。
ファームウェア1.00にはバグがあって、これはサポートも認めていたよ。リミッターオンでバイノーラル再生にしていると、起動時のSDカードチェックにハングアップするんだ。僕も何度もハングアップしてサポートに電話、すると、リミッターをオフにするか、バイノーラルじゃなくてステレオ再生にすればハングアップしないと教えてもらった。現場ではステレオ再生でOKなので、僕はその設定でこれまでやってきた。
今回のVer.2.00になって、そのバグも修正された。起動も若干早くなったみたい。でも、DTA-1(Bluetoothユニット)が付いていると機能選択画面が出るので、むしろ起動が遅くなっちゃったので、現場ではイライラするぞ、うざいうざい。
現場では、スマホからマイクゲイン調整をすることが必須なので、基本的にはH3-VR-Controlしか使わないんだけどなぁ。
本條流の我が師匠、本條秀五郎先生の民謡の演奏会、撮影に来ているのだ。機材チェックが甘くて、バッテリーが心許ないけど、なんとかなりそうだぜ、の切ないココロだ。
企業プロモーション映像、ざっくり編集終わったぁ。
手こずってしまったぜ。
やはり、初めてのカメラマンの時には注意が必要だなぁ。かなりの撮影ミスがあってガッカリ。監督用モニターもなかったし、その程度だったか、甘いなぁ、俺は。
もともとスチルカメラマンだって、先に教えて欲しかったなぁ。テレビ的な撮影に全然ついてこれなかったのが敗因だ。
などなど愚痴を言いつつ、こちらにも大きなミス。TASCAMのレコーダー、電池切れすると録音中のデータは死んじゃうのか。久しぶりにクソな設計のプロ用機材に巡り合った。いいレコーダーなのになぁ。注意して使うことにするよ。
などなど愚痴を言いつつ、編集は、まぁ、こんな感じでいいんじゃないかなぁ。これ以上詰め込むと、見る側の頭に入らないと思うなぁ。構成作家さんとクライアントさんのぼんやりした台本より、俺の編集が正しいと思うぞ、うん、ウヒヒヒヒ!
早朝から映画です。
ブログ書く暇、あるかなぁ。
仁道監督とは、もう3作品目かな。
前回はアイドルグループの初主演作品で、その録音とMAを担当した。その作品がかなり良くて、MAしながらマミだが流れたぜ。
今回はアクション系だ
そして明日クランクインする作品には、制作担当として参加。
若手の裏方を支えるお目付役って感じ。
ワンシーンだけ、ちょこっと出演。あれ、台本、どうなってたっけ?
僕は、声の出演作品は、たくさんあるけど、ビジュアル出演は皆無。ビジュアルでスターになっちゃったらどうしよう? などと妄想しつつ、明日からの撮影準備だ。
それにしても湿疹がひどくて、そちらが気になるなぁ。
ふっくんのラジオを編集中。
ぜんぜん、終わらねぇ。
ゲストに小野寺丈くん、ふっくんと僕と同い年で、しゃべるしゃべる。
後ろのコーナーは『DJふっくんの80年代ミュージックコーナー』で、こちらはシャネルズの特集。これもふっくんがしゃべるしゃべる、止まらない。
ということで、2時間の素材を54分にするのに、なんと8時間もかかっちゃった。やっと全体が決まって、聞き直しとキューシート作り。
はぁ、湿疹がひどくて死にそうなのに。
映画やレコーディングでは、よく変な音が紛れ込むんだ。そう、お化けのささやきだ。
録音部を15年ほどやっているけど、現場で聞き取れた明確な幽霊の声(言葉)は、多分、二回くらいかな。
川崎ヒロユキ監督の『羅生門』で録音部をやっていた時、飢餓で苦しむ町娘が、雑草を口に入れながら、
「飯、食いたい、食いたいよぉ」
と瀕死の状態で演技中のこと。
そこは防音の行き届いた地下にあるカラオケスナックにセットを組んでいるので、スタッフ以外の声は聞こえない。本番中だから、スタッフも声を出さない。迫真の演技に、スタッフも聞き入っている。
「食いたいよぉ・・・・」
囁くような小声の演技だ。
僕はショットガンマイクを近づけられるだけ近づけている。超ベテランの照明技師さんが、マイクが入りすぎないか睨んでいる。
「食いたいよぉ・・(子供の声:食いな!)」
その瞬間、僕の心臓はバクバクバクバク! 周囲を見渡すけど、防音のドアは締め切られ、子供なんていない。
監督のカットとOKの声がして、僕はレコーダーを停止する。
すぐに巻き戻して(言い方が古いなぁ)、問題の箇所を確認。
「食いな」
確かに入っている。
仲良しのカメラマン荒木ちゃんを呼んで、
「なんか出た気がする。11秒のところ」
業務ヘッドホンで聴く荒木ちゃん。
「あ、出ましたね。うん、出た出た」
と、あっけらかん。そう、映画の現場じゃ、よくあるのだ。
ちょっと生の音だとわかりにくいので、最新技術でノイズを除去してみたよ。
ノイズを除去してみたんだ。あれれ、女優の息遣いの直前に、男性の声っぽいのが聞こえてきたなぁ。
今日は、アイドルグループ主演の映画のMA、つまり音の仕上げ作業をしたんだ。雑音を消して、異なる条件で録音した音を同じ音(同じ場所で録音したと思える音)に聞こえるようにする作業だ。
先日、発見した700円のヘッドホンが大活躍ですよ。
それにしても、いい映画だなぁ。泣いちゃったぜ。その泣けるシーンの音も、非常にいい状態で役者の感情を伝えてくれているぜ。
このMA、8時間もかかってしまった。予算があればもっと細かくやりたいんだけどね、ひとまず、普通の映画と同じレベルの仕上げで終了だ。
去年の12月初頭に蕁麻疹と診断された目の周りの湿疹が、首に広がって、今日は朝から真っ赤に腫れ上がってヒリヒリしつつも非常にかゆい。掻けば掻くほどヒリヒリして、さらにかきむしりたくなる。
先日までは市販のオイラックスAが気休めになっていたんだけど、今日は、肌がオイラックスさえも受け付けない。
病院で処方されたステロイド剤も塗るとヒリヒリ真っ赤っか。
この状態なので、とにかく集中するのが難しい。とにかく首を触りまくるので、どんどん悪化しちゃう。
困った困った、眠れないし。
坂本龍一さんは大好きだし、電気グルーヴも好き。しかし、どうだろう、薬物犯罪者の作品は非公開にするべきか、作品自体はそのままでいいのか。ちょっと犯罪学(&犯罪心理学)的に考えてみた。
音楽の世界では、薬物で曲を作るというのが昔からよくあって、時代の変革期には素晴らしい作品が生まれることが少なからずあるようだ。そんな意味で、作品本位で考えると、まぁ、薬物は必要悪みたいな感じなのかなぁ、と思ったりする。
また、映画のように出演が多い創作物では、一人一人の素行を完璧にチェックして制作するわけにも行かないかもしれない。
そこで、犯罪学的に考察すことにする。ポイントはいくつかあって、まず、薬物を使った本人に対するものでは、反社会的な行動、つまり犯罪を構成する故意の行為なのだから、本人は罰するべきであり、その犯罪行為の内容に応じた刑罰を科すべきだ。
一方、作品に関してはどうか。犯罪学・刑事政策的に考えると、薬物の力で作ったであろう作品に関しては、非公開にするべきだと言える。
なぜか?
もし、薬物の力で何億円も儲かる作品ができたり、人気を集める作品ができるということになれば、「じゃあ、俺も」と後を追う人間が出てくることが、容易に想像できるし、事実、いい作品を生み出すために薬に手を出したというアーティストの証言は枚挙に厭わない。
つまり、社会安全の観点からすると、薬によっていい作品やいい演技ができるということになると、これほど危険な状態はないと言える。犯罪学的に言えば「一般予防効果(刑罰を科すことで社会を安全にする)」の必要性からも、作品自体を非公開にする必要がある。
芸術活動における薬物依存は、スポーツで薬物を使って新記録を出すのと同じで、ドーピングだ。卑怯なやり口なのだ。
先ほど一般予防効果の話をしたが、作品を生むためなら薬物もいいじゃないか、ということでは、健全な社会は保てないのだ。
ドーピングした選手がスポーツ界から追放されるのと同じように、音楽や映像などのコンテンツ業界も、当然の事ながらドーピングをした人間は追放するべきだ。
にも関わらず、音楽業界は、なぜか薬に寛容である。坂本龍一氏に至ってまで、そんな発言なのは、非常に悲しい。
さて、もう少し詳細に考えると、スポーツでもドーピングで出た記録は向こうになる。そして、ドーピングの内容によっては、選手が復帰するチャンスを用意している。
音楽や映像でも、同じように、薬物を使っていた期間の作品は非公開、使っていない時期は公開にしてみてはどうか。
使用した本人の復帰に関しては、法律学的には、刑期を終えて出所した(もしくは執行猶予期間、保護観察期間が終了した)時に復帰を認めてるかどうかを判断してはどうだろうか。
坂本龍一氏は「作品には罪がない」と言い切っているが、いや、薬物の力で作られた作品は、さらなる薬物を容認するのと同じ効果があって、真似して、薬物で作品を作る人間を生みかねない。つまり、「作品にも罪がある」のだ。