なぜ本を書くのかということは、かなり難しい問題です。やってしまいがちなのが、自分の居場所作りです。
でも、読み手からすると、著者の事を知りたいというより、ノウハウを知りたくて本を買ってくれるのです。
その事を常に頭に置きましょう。
なぜ本を書くのかということは、かなり難しい問題です。やってしまいがちなのが、自分の居場所作りです。
でも、読み手からすると、著者の事を知りたいというより、ノウハウを知りたくて本を買ってくれるのです。
その事を常に頭に置きましょう。
運命とか運勢という言葉がありますね。
そして、それを見抜くための技として占いなどがあります。
人生がどちらへ向かうのか、それは「風」みたいなものが影響している感じます。
たとえば、急に会いたくなる人がいて、電話をすると相手も同じように会いたかったと思っていたりすることです。
そう思ったのにやらずにいて、失敗してしまうことよくあります。
虫の知らせや直感も、風によるものだと、僕は思っています。
その風を感じる感度のようなものがあって、これが鈍ると失敗するし、うまく感じられれば素晴らしい結果が訪れます。
本当は誰でも風を感じられるのですが、それに従うかどうか。
ものを書く時には、心を空っぽにして、風をつかめるようにしています。別の言い方をすれば神が降りてくるということです。
そんな風をつかんでいる時の作品は、賞をもらえたり、売れたりしました。
ポイントは、前述のように、心を空っぽにする、ということです。
これは、何でしょうか?
頭のいい皆さんは、すぐにピンと来たのではないでしょうか?
そう、これって瞑想ですよね。
心を静めて、何も考えない、つまり瞑想です。
風を感じるというのは、実は瞑想の先に見えるものというとだったのです。逆の言い方をすれば、瞑想とは風を感じる努力だと言えます。
軽く目を閉じ、風を感じようとする、それだけでいいのです。
米朝首脳会議が開かれるかもしれない。
つまり、米朝の外交がこれまでになく仕事をしているということだ。
それで日本はどうなのか、ということが話題になるのだが、非常にバカバカしい。
現在の国会を見ても、こんな国(日本)を相手にする必要がない以上に、話し合いなどするべきレベルにないことは明白だ。
日本の政治や外交が、ほとんどが感情論と狭い組織利益を最優先していて、国家レベルの考え方など存在しない。
つまり、現状をきちんと把握して論理的に思考することが、結果的にできない国なのだ。
論理的に思考しても、結果的には感情的にいいか悪いか、納得できるか、受け入れられるか、という非常に低いレベルでしか国が動かない。
その結果が、アジア外交では「日本は無視」ということになったと判断しなければならない。
こうなる原因は、国会・マスコミ・官僚に原点があるが、物事を好き嫌いで判断する(感情的に受け入れ可能かどうか)という日本人のマインドにあることを自覚しなければならない。
世の中には感情的に受け入れられなくてもやらなければならないことがあるという当たり前のことを再確認しなければならない。
つまり、感情に流されてまともな判断ができないという意味では、韓国も日本も同レベルだ。
むしろ、政治体制は如何なものかと思うが、北朝鮮の方が合理的判断ができている。
と書くと、頭に血がのぼるバカが多いので、バカの反論も受け付ける。
いずれにせよ、日本の発言力がゼロになったという認識が必要で、それは感情論でしか考えられない人間が原因だということを指摘しておく。
日本が先進国だと自負しているのはわかる。しかし、今現在の国会や国民の民度は、決して先進国とは言えない。感情を優先するというのが、日本の流行りで、論理的に考えるのは「冷たい」というような評価になりがちだ。
しかし、国や組織というのは、すべての人の満足を実現するサービス産業じゃない。利益の調整を行う場所だ。つまり、合理的。論理的な思考が必要になる。
しかし、官僚を見ればわかるように、自分の出世や組織を守ることには必死だが、自分たちの損になることはやらない。だが、自分たちが損になっても全体の利益になるなら、それを実行するのが合理的・論理的だということ。つまり、自分を守りたいという感情に負けて、やるべきことを蔑ろにしてしまうということが、国の中枢にまで及んでいるのだ。
残念!
昨日は徳島県美馬市の地方創生事業の会議に参加したんだ。
地方創生でも、美馬市は総務大臣賞を取るほど活発、つまり、関わる人が熱くて優秀だということですね。
徳島県の有名企業といえば、一太郎・花子のジャストシステム。
僕もパソコンライターが長かったんだけど、DOSの時代からのヘビーユーザー。
僕の著書の中でも一太郎が推奨アプリナンバーワンですよね。
昨日の会議に、なんとジャストシステム出身者が2人もいてびっくり。
しかも、ジャストシステムがWindowsに負けないくらい凄かった時代を支えた人たちだ。
なるほど、会議はスムーズはだし、方策も合理的。
優秀な人は、地方にたくさんいるんですよね。
ポメラが使いやすいのは、一太郎に機能が似ている点があるからだと思います。
ご存じの通り、ポメラには一太郎連携というのがあって、ケーブルでつなぐと一太郎へ文書を簡単に流せますよね。
つまり、ポメラと一太郎を使うのが正しい所作なんですね。
あれ、ポメラのアウトラインがそのまま一太郎の見出しにならないのかなぁ。やってみよう。
なぜ、喧嘩や聞き違いや勘違いが起こるのでしょうか。
「それは聞いていない」
「そんな事は言っていない」
言葉というものが、実はそれほど大きな力を持っていないことに、物書きをしていて気付くことがあります。もちろん、ロマン主義的には「言霊」といって人の心の中心に言葉ありき、というような印象がありますが、どうでしょうか。
そもそも、裏切られた、というのは、言葉が原因ではないかと思うことがあります。
もし、言葉がそれほど確かであれば、本当は間違いや勘違いが生まれないのではないのでしょうか。
ギーターやウパニシャッドを読んで、最初にインパクトを受けたのは、たとえば目に見えるものを全て言葉にすることはできない、という当たり前のことでした。ゆえに、言葉を信じるなと、言葉にしようとするなと、説明しようとするなと。
正しいことは、全て自分の内側にあり、それを感じ取る事が必要なのであって、外側にあるものを探しても意味がない。ましてや、言葉を練って探しても無駄だと。
人は五感を通したもので世の中を計ろうとします。五感に感じられないものは存在しないと考えるのです。ですから、魂の存在も確信が持てないし、運命というものの存在も確信が持てません。それゆえ、悩んだり悔しがったりするのだそうです。
どうしたら、自分の役割や運命が見えるのでしょうか?
瞑想は、そういった五感から生じる迷いを消し去る方法だそうです。具体的にはギーターの学習も瞑想であるし、スポーツに没頭することも瞑想であるし、座り続けることも瞑想だそうです。逆に、瞑想はこうでなければならない、という人は偽物だと、ギーターにもヨーガ・スートラにもウパニシャッドにも書かれています。いつの世にも、瞑想を指導する人が現れますが、注意が必要だと2000年前から言われています。
どの書物にも共通しているのが、真理を得るに何かをせよということではなく、無心で何かを行うことだとされています。つまり集中することが、最も重要だそうです。
スポーツ選手も芸術家も、みな集中の達人です。そこに真理がありそうです。
ポメラDM200は本当に優れています。
痺れますね。
DM100はダイレクトキーがあって、あれも便利した。
直感的な操作ができました。
ところが、DM200にはダイレクトキーがありません。だから辞書を引くにはどうするんだっけ? などと迷いますよね。
何処に何があるかわからないDM200なのですが、すべてショートカットキーが割り当ててあるのはご存じの通りです。
それを覚えちゃうと、こりゃ便利。しかも思考が中断されないのです。
さて、そんな便利なショートカットキーなんですが、何がどれなんだか覚えられずに苦労しています。そこで、ショートカットキーの覚え方を考えてみました。
ファンクションキーには、よく使うであろう機能が割り当てられています。と言いつつ、僕はそんなに使わないですけどね。
付箋(F1)、タイムスタンプ(F2)の挿入系があって、あとはWindowsに準拠した検索(F3)。まぁ、使わないかな。
この3つはよく使います。F8は縦書き横書きの切り替え。ブログやメールは横書きで、書籍や小説は縦書きです。F8は必須!
さらにF9も重要です。これはパネルの明るさ切り替え。出先や寝床など、明るさを変えた方が目に優しいっすよ。
F10は情報表示です。つまり、何文字書いたかが分かります。執筆時には常に確認するので、F10も多様します。
覚え方は「右指ファンクションは縦横情報」です。
ついでですが、F6とF7は文字の見え方を覚えます。文字サイズの切り替えとフォント切り替えです。F7(フォント切り替え)が必要かどうか、かなり疑問なので、ほかの機能を割り当てた方がいいかもしれないです。
Ctrl+ファンクションキーは、アウトラインだとか2画面表示だとか、編集に必要な便利機能が割り当ててあります。特にF1~F5までです。
F1:アウトライン
F2:2画面表示
F3:グリッド(背景表示)
F4:フレーム(文字詰め)
F5:行番号表示
これらは覚える必要がなくて、とりあえず叩いてみれば分かります。表示が変わるだけで編集内容には影響がないので叩けばいいのです。覚え方は「Ctrl+左指ファンクションで編集機能」
Alt+ファンクションキーには、様々なツールが割り当ててあります。
Alt+右指(F7~F10)が辞書です。
Alt+F1はカレンダーです。
Alt+F5でQRコード。
そのほか、Alt+アルファベットにはいろいろなツールがあります。
Alt+Uでアップロード
Alt+Sでポメラシンク
まあ、全部を覚えるというより、Ctlr+ファンクションが編集、Alt+ファンクションがツールと覚えればいいのではないでしょうか。
ショートカットキーを覚えると、執筆スピードが別世界になりますよ。
そうなると、思考中断が置きにくくなり、売れる作品になるはずです。
この世に生きている限り、心は落ち着きを持ちませんね。
何もないのに、そわそわしたり、不安だったり。
痴呆が進む僕のお袋も、どうして自分が不安なのか分からず、目に入るもの全てを疑い確認しようとします。しかし、目の前の不安を解消しても、根本的な不安は消えないので、何時までも不安探しをしているのです。それがお袋を常に苦しめています。地獄の中にいるように見えます。
インド哲学では、人の心は、常に何か足りない、と思わせるといいます。
それは常に静止できない肉体から生じるのが心であり、だから心は揺れ動くのだと言います。その揺れの中から、不足している、という心が生じるのだそうです。
不足感は肉体が魂を騙そうとしているようなものだそうです。しかし、それは本当のことではないのです。お袋もそうです。何度も診察券はどこ? と確認をします。確認を幾度やっても安心できません。なぜなら、診察券が見当たらないことが不安なのではなく、不安だから不安だ、ということなのです。不安が先にあり、その原因を後から探しているのです。その最初にある不安(足りないと思う心)には原因がなく、無限に続いています。
カルターですね。
そういうときこそ、心に瞑想を与えてあげたいと思います。
でも、痴呆症の老人に瞑想を与えるにはどうしたらいいでしょうか?
誰か、教えてください。ああ、これもカルターですかね?
インド哲学を勉強すると、魂と心を分離する事が出来るようになり、肉体をそのコントロール下に置く事ができる。
無意識に心の苦痛が魂から切り離されるので、ストレスがあっても気分は悪くならない。ただし、肉体的なストレスは消えた訳ではないので、養生は必要だ。ギーターにも、学ぶ事はヨーガであり瞑想だと書かれている。特別な姿勢や座り方が瞑想なのではなく、どこへ進むのかが瞑想である。ギーターより
ニュースサイトで、チベット仏教の僧侶が、他の宗教(ヒンズー教・キリスト教・イスラム教)に比べて、利己的で自己犠牲の精神がなかったという調査結果を出してた。そこで一言。
古代インドでは、バラモン教が支配していた社会にブッダが仏教を起こし、国の宗教となるほど栄えた。
それで対策を立てたのがバラモン教。文盲の下層階級にもわかりやすい教義を打ち出し、インドの全国民に布教した。それがヒンズー教。数多くの神を作り、それぞれの目的に合ったお祈りの仕方をするだけで、健康になったり、幸せになれたりするという教えだ。
それでヒンズー教が爆発的に増えた。
困ったのは仏教寺院。
先発の仏教は自分たちが不人気するのを恐れて、なんとセックス教義を取り入れた(セックス寺院があるのはこのため)。それで勢力を挽回したんだけど、風紀が乱れた為にインド仏教はインドを追い出される。
チベットへ逃げたセックス仏教は、ラマ教と融合してチベット仏教になった。
チベット仏教の教義は、世界戦争をして世界を滅ぼし、自分たちだけ生き残って理想郷を作るというもの。
だから、チベット仏教の僧侶が利己的なのは当たり前なのだ。というか、歴史的には上記の通りで、現在はまともな仏教になったのかと思っていたけど、やっぱり糞仏教のままだ。
ダライ・ラマを崇拝する人、この歴史と精神性は重要だぜ。仲間や弟子や信者が殺されても自分だけ逃げちゃうのがダライ・ラマという事実は、この調査とも合致するね。
そんでもって、日本でチベット仏教を完全に取り入れて実行したのがオウム真理教。ポアっていう殺人を意味する言葉もチベット仏教用語だよ。オウム真理教がテロを起こした理由はチベット仏教の教え通りなのさ。
そんでもって正当な仏教教義を伝承しているのはスリランカやタイの仏教。チベット仏教とは全然違うもの。これを学ばないとダメ。こっちで再調査してほしいなぁ。
ちなみに日本の仏教は、実はチベット仏教系。
ただし、中国人が偉かったのと、経典を持ち帰った空海もまた偉かったので、危ない教義(セックスと世界戦争)は秘儀として隠された。というか、門外不出。
それ故に、日本の仏教は、悪い部分が削ぎ落とされ、思想的にはスリランカ・タイ仏教に近い。ただし、真言(呪文)を使うという点はチベット仏教が残っている。
これが仏教の歴史と基本なんだ。