焚き火用のコンロを買いました。1500円弱です。
すごく効率がいいコンロで、すぐに薪に火が付くし、ご覧のように火力も十分。
5cm四方の杉の木材で500ccのお湯が沸騰。
炎を見つめていると、心が和みます。
焚き火用のコンロを買いました。1500円弱です。
すごく効率がいいコンロで、すぐに薪に火が付くし、ご覧のように火力も十分。
5cm四方の杉の木材で500ccのお湯が沸騰。
炎を見つめていると、心が和みます。
インド哲学は、目や耳や手で触ったことなどを鵜呑みにせず、魂で感じることを重んじています。
人生は悩みの連続です。
1つの悩みが解決されると、次の悩みが生まれます。
後で考えると、その時の悩みは大したことではないと感じられるのですが、新たに生じる悩みは、常に今までになく自分を悩ませるのです。
これは、どうしたことでしょうか?
インド哲学では、この仕組みを解説しています。
人が不幸になるのは、こうしたらこうなるという期待を持つからだと、インド哲学では説かれています。期待は不安の裏返しです。不安は不幸の入り口です。
期待を持たずに、やるべきことを夢中にやることだけが、今現在の幸せです。
人は不安になります。
理由があって不安になることもあれば、不安が先に立って、その理由を後から考えることもあります。
インド哲学では、不安は『こうありたい自分』から始まるとされています。
もしかしたら、期待通りにならないかもしれない、今より悪くなるかもしれない、などと、まだ起こっていない未来に対して恐れを抱くのです。
不安になった時には、「こうすればこうなる」という考え方を捨てよ、と説かれています。結果を期待せずに、できることを一生懸命に夢中にやること、それしかないと説かれています。
人は、癒しを求めて色々な場所に行きます。
しかし、なぜか、それを繰り返します。
なぜ、繰り返すのか。
その癒しだと思っていることは、一時的だということです。
本当の癒しは、何処にあるのでしょうか?
この世の中のものには、すべて寿命があり、いつかは崩れ去って無くなる。
しかし、魂(意識)だけは、老いることも崩れ去ることもない。
なぜなら、この世の物質とは別のものだから。
そのことを知って生きる事が、幸せになる唯一の方法なのだ。
(インド哲学)
インド哲学を通して世の中を見ると、いろいろわかってくるんだ。
欲張りで他人のことは顧みない人間が裕福で尊敬されたりしている。
それは、お金が介在していると言うことかもしれないですね。
さて、それをインド哲学を通すと、って感じで書き進めています。
古代インド哲学は、非常に人間の心や成長や行動を分析しているんだ。
その中でも、人間(動物や自然)の性質を決める(物質的)要素を『グナ』と称している。
グナはプラクリティ(物質的な性質)の3つの要素のことで、
この世は物質でできている。物質であるから、良いことと悪いことがまるで季節のように繰り返されている。それゆえ、様々な悩みが生まれる。その物質的な性質をよく知って行動するのは(2)ラジャスの性質が適している。つまり、詐欺をしようと、耐震強度を偽装しようと、ブラックであろうと儲ければ結果的に『(その人にとっての)善』だ、というのはラジャスの心である。
しかし、本当に人間が幸せを感じるには、何が全世界(自然)にとって大切かのかという善(正義)を知ることができるのは、3つのグナ(性質)のうちのサットヴァだけである。
つまり、この世の成功者であるラジャスには、何が善なのかは、まったく分からないし、理解することもできない。わかるための能力が欠如しているのだから、いくら諭しても無駄なのだ。
別の面で見ると、サットヴァには、この世で如何に儲けるかという能力はまったくない。全く見当がつかないのだ。つまり、最高の正義を知る者は経営者としては不適格である。
タマスは、最も多い心で、自分で考えることよりも力のある者に従うことを常としている。言われなければ何もしよとしない心である。
人は、この3つのグナを全て持っている。その割合が刻々と変化している。商売上手は常にラジャスの成分が多い。その分だけ他の2つの成分が少なくなる。
さて、あなたは今、どのグナが優勢だろうか?
アイデアを作品にまで仕上げるのは、さまざまな試行錯誤があります。
実は、試行錯誤とは『迷い』であって、読者に有用かどうかは非常に微妙です。
売れる本がかけた時というのは、試行錯誤がないときです。
ある意味、優秀な編集者というのは著者を無駄に悩ませないということです。
一番いいのは、考えをビジュアル化することです。
文字にするのは一番最後でいいかもしれません。
しかし、僕は執筆中毒というか、なんでも文字にしたくなっちゃう。
でも、それは無駄だと思います
迷いからの脱出は、頭の中のものを自分の感覚器で最入力するといいです。
つまり、目で見えるメモであり、触れるメモ帳であり、聞こえる録音だったりします。
もちろん、文章にするのも1つの手段ですが、文字には文字の制約があり、風景などを描くのは損です。写真を見せた方が圧倒的な効果がありますよね。
ということで、図版を中心にしたメモ書き、これが重要です。