311を経て我々は何をすべきか?

311の本日、テレビでは、震災時の映像や復興がどこまで進んだかを報道している。その映像やコメントで流れていることと、震災地へ行くと、ちょっと現実とはちょっと違う気がする。
まぁ、報道はどこまで行っても部外者なので、限界なんだろうと思う。

これから我々は何をするべきか?

さて、311の本日、改めて何をするべきなのかを考えてみたい。
まず、当たり前の現状を書くと、

  1. いまだに『戻れない地域』がある。それは危険だということと、心理的に帰れない(心配)、避難先に新しい生活ができてしまった、ということがある。
  2. いまだに『仮設住宅で暮らす人たちがいる』
  3. いまだにフクシマという名前だけで汚染されていると思っている人が大勢いる。
  4. いまだに第一福島原発は、不断の努力で安全化のための工事が行われている
  5. いまだに汚染水や汚染物質が山積みである。

並べてみるとわかるのは、『いまだに』という言葉だ。どういうことだろうか。まぁ、横並びにしたが、汚染物質や事故現場は、放射性物質という人間の力では如何しようも無いものだから、『いまだに』は仕方ないかもしれない。
しかし、1〜3は、単に人間の判断だけで『いまだに』なのだ。

『いまだに』は、最優先にやらなければならない事項

並べて書くと、問題点が『いまだに』だと見えた。そのうち、単なる人の思い込みの部分は、我々が自らなんとかできることではないのか。
特に、2と3は、すぐにでもなんとかできるはずだ。戦闘機一機を買うのをやめればいいだけだ。オリンピックの施設を1つ、既存のもので行い、新しいものを建てなければいいだけだ。

なぜ、必要なことを最優先にできないのか

東京でオリンピック開催と聞いて、僕はがっかりした。そんなお金と人員があるなら、福島の復興、東北の復興は1年でできるのではないのか。出場選手一人当たり1億円も使って、一体誰が幸せなんだろうか。スポーツ関係者は、人間には夢が必要だ、というが、夢以前の人たちのことは考えないのか?
目の前で困っている人がいるのに、かけっこをするのか。
まぁ、オリンピックを悪者にしても仕方がない。

提言:被災すればこれまで以上にいい暮らしができる社会はどう?

震災で暴動が起きなかったと世界で賞賛されたが、もう一歩先に行こうじゃないか。日本中(世界中)どこで災害が起きても、被災した人がそれまでよりももっといい暮らしができるくらい支援しようじゃないか。
被災したら一生楽できる社会だったら、どうだろう?
被災する人は、経済的損失だけでなく、いろいろなものを失ってしまう。取り戻せない損失ばかりだ。取り戻せないものは他人にはどうしようもないのだから、せめて、経済的な部分はみんなで支えて、取り戻せない損失の代わりを用意してあげるのはどうだろう。
被災者と話をすると、そんな気になるのだ。

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