iPad Proのスマートキーボードがおかしい

新しい機器を買うと古い機器が臍を曲げる法則というのがあります。

iPad Pro専用のスマートキーボードが、時々反応しません。
電源ケーブルを刺した時の充電開始の音がありますが、何もしないのにその音が何度もなり、時々「このデバイスは対応していません」というようなメッセージが出ますね。

ネットで調べると、同じ様な症状があるようです。

電気接点で接続するキーボードなので、その接点不良か、機器の部品の破損ですね。
せってんを磨いてもダメなので、機器の故障かなぁ。

接点部分がマグネットで押し付けるタイプであり、かつ、iPad本体とキーボードをつないで支える構造です。
なので、その部分の変形なども考えられるなぁ。

ということで、非常に原始的な対処として、iPadをキーボードに接続して立たせた状態で、iPad本体をギューっと接点に向かって押し付けます。
つまり、密着度を上げて、変形していれば修正されるはず。

すると、例の電源ケーブルをつなぐ時の音が何度も!
ああ、やはり接点不良か。グリグリ押し付けて、音が出なくなるくらい繰り返し。ただし、あまり強くやると壊れちゃうかもね。

さて、今のところ、治った感じ。そうだ、再起動してみないとなぁ。
再起動すると数分間、キーボードを認識しなかったので、これが解消できれば、それでよし。
ダメなら、ジーニアスバーに持っていくしかないかなぁ。

インド哲学とヨガのポイント

古代インド哲学とヨガ(ヨーガ)は密接な関係にあります。
古代インド哲学を簡単に説明すると、

1:人間には、物質(肉体)からできている、感覚器官(五感)、運動器器官、体を維持する器官、考える器官(心や思考も脳という物質でできている)で構成されているとします。
2:そして、そうした物質(心も)をまとめて「命」を与えているエネルギーのようなもの(プルシャ:量子力学で説明できるらしい)がある。
3:そのプルシャ(もしくはアートマン)こそが自分自身であり、自我を客観視している。

なんで今、自分はこんなに怒っていたんだろう、と急に冷める瞬間がありますよね。
その気付きを与えるのがアートマンで、冷静になった自分は「自我=心=物質」です。

ヨーガはアートマンを見出す技

ヨーガは、日本では「ヨガ」と呼ばれて、美容や健康体操が主流。これはインドでも、世界でも同じですね。
でも、本当はヨーガと呼ぶのが正しい。そして、本当は、心(物質)の暴れるのを落ち着かせて、その奥にあるアートマン(本当の自分)を感じるのが目的です。
健康や美容は、アートマンを感じるための付属品なんですね。

Kindle Oasisで漫画を読む

ちょっとした空き時間にOasisで漫画を読んでいます。
非常にサクサク動いて、なんのストレスもないですね。

初代のwhitepaperは、大きなサイズの漫画や雑誌を入れると固まっちゃっていましたが、Oasisはぜんぜん問題なし。
不具合は生じないです。

バッテリーは、まずまず

バッテリーを長持ちさせるには、フライトモードで読むのが一番です。
ということで、オートフライトモードってのが欲しいなぁ。
つまり、一定時間、Wifiと3Gをオフしてくれて、たまにWifi接続でアップデートをしてくれるって感じの機能です。

Bluetooth音声?

Oasisはオーディブル(書籍朗読コンテンツ)に対応のはずなんだけど、日本語じゃダメなのかなぁ?
取説にはBluetooth音声接続の説明が書いてあるんだけど、設定するには言語設定を英語にしないとダメっぽいなぁ。
どんなんだろう?

Kindle Oasis 32GB+3G 快適すぎて

超高額電子書籍端末 Kindle Oasis 全部載せバージョンですが、非常に快適です。
バッテリーは20時間くらいかなぁ。ただし、通信機能は切った状態です。
長いように感じますが、朝から晩まで読めば2日間くらいですね。充電時間は2時間くらい。

通勤通学で読むくらいだと(1日30分くらい)だと40日は動く計算です。

まあ、いずれにせよ、バッテリーを気にせず使えています。

古代インド哲学:ウパニシャッド読了

ウパニシャッドの意訳版は読み終わっちゃった。
ギーターとヨーガスートラを読んでいたので、その差分を手に入れる程度でした。
ただ、何が重要かという焦点がはっきりして、今後の勉強に役立った。

さて、インド哲学の主流は読み終わってしまった。
まぁ、本当は『マハーバーラタ』の全巻を読むべきなんだけど、日本語訳はないなぁ(無いはず)。

さてはて、Kindleで何を読もうかなぁ。

インド哲学をベースにした童話を書いています

ウパニシャッドには童話が登場します。火の神、風の神、雷の神の話です。
これがよく出来ている。

そこで、僕もちょっと童話を書いています。

それは古い時代、まだ大きな国はなく、神様も人間も動物達も共に話が出来た時代です。
ある国のお姫様が、隣の国へお嫁に行く途中、船が難破してしまいます。
食べる物がなくなり、泣いていますが、誰も助けてくれません。
あまりにお姫様が悲しく泣くので、海の魚達が相談します。誰がお姫様のご飯になるのか。
しかし、誰もお姫様の食べ物にはなりません。だって、食べ物になったら死んでしまうからです。

それを見ていた天の神様は嘆きます。海の生き物は、姫を助ける勇気がないと。
しかし、海の神様は言います。なぜ、人間を助けるために海の生き物が死ななければならないのかと。
天の神様と海の神様の喧嘩が始まり、大嵐になってしまいます。

なんていう話です。
さて、人間は天の神様の所属なのか、魚などの生物と同じなのか。

そこに死の神様がやってきます。
「なぜ、みな、死を嫌う。わたしの世界には、人間も魚もない。喧嘩もない。みな平等で安らかなのだ」

童話は無限の命

僕の元々のデビューは童話です。最初の受賞は24歳かなぁ。
日本児童文芸家協会会員になったのが25歳だから、もう27年にもなりますね。

なぜ童話か。それは時代や民族を超える力があるからです。そんなものを若い時には書きたかったんですね。
でも、お金に追われてかな、忘れていました。
なので、もう一度原点に戻って、書きましょう。

宇宙

ウパニシャッド、シンプルで面白い

古代インド哲学の原点というか本流と言われているのが『ウパニシャッド(聖典)』なんですが、これまでに『ラーマヤーナ(神話)』『マハーバーラタ(日本書紀っぽいもの)』の一部と『バガヴァッド・ギーター(マハーバーラタの一部で、もっとも有名な逸話)』、『ヨーガ・スートラ(悟りを開く方法≠健康美容体操)』、『カーマ・スートラ(欲の教典)』、その他の解説本などを読み込んで来たんだ。

ほんの少しだけ、サンスクリット語も読めるようになったんだ。

ギーターとヨーガ・スートラのサンスクリット語を読む

本当はウパニシャッドから読むべきなんだろうけど、ギーターが最初でした。でも、まぁ、ギーターが最もわかりやすくて、素直な心の持ち主である人間の代表のアルジュナと創造神クリシュナの問答集。つまり、素直だけど平凡な考え方のクリシュナに、神様が沢山の事例を挙げて人間とは何か、命とは何か、どこへ向かっているのか、などを説明しているんだ。
ギーターさえ読めば、インド哲学(≒仏教哲学)のほとんどが分かると言われているぞ。

ヨーガ・スートラは、ヨガの先生達に大人気の思想書で、ギーターが物語構成なのに対して、ヨーガ・スートラは教科書的になっているよ。ただし、ヨーガと付いているけど、ヨガのポーズなんてぜんぜん出てこないよ。逆に健康体操は否定している。何かのポーズで真理(世の中の仕組みや生き方)が分かるということじゃなくて、真理へ到達する方法を称してヨーガというんだけど、その中には瞑想と呼吸法があるって感じ。でも、ギーターよりは学術書っぽい。ギーターよりも用語が多くて複雑。実はヨーガスートラは短い詩篇で、サンスクリット語の逐語訳の本を手に入れたので、さらにサンスクリット語文法書、サンスクリット語辞典も手に入れて、自分でも翻訳しながら読んだんだよね。
すると、ヨーガ・スートラの解説者(インド人教授様)の訳がなかなかしっくり来ない。サンスクリット語が英語に訳されて、さらに日本語になっていることが原因だと思うんだな。なぜそう訳すのかが分からない詩がいくつかあった。自分の解釈は本にメモ書き。そこで、原典であるウパニシャッドを読まないと、どちらの訳が正しいか判断できないんだ。
ちょっと道を逸れるけど、インド哲学の真髄は、目に見えない、聞こえない、触れられない、味わえない、匂えない、つまり人間の五感で認識できないものを理解するということなんだ。しかも、言葉にもできないものを理解する、というのがテーマ。すごいよね。

ウパニシャッドの下読みは楽々

そして、ギーターとヨーガスートラと読み込んでみて、原点であるウパニシャッドを読んでいる。もうすぐ読破するよ。
でも、すでにギーターとヨーガスートラをサンスクリット語と並べて読み込んでいたので、日本語訳(意訳)のウパニシャッドは、楽に読める。復習みたいな感じ。

ウパニシャッドは、数種類あって、〜ウパニシャッドというようなものだよ。
手に入れた解説本(Kindle本)が非常によくできていて、読むべき順番に並べられているし、この部分はギーターに引用されているとか、かなり詳しいんだ。
まぁ、その読むべき順番も、古代インドで確立された読み方なんだけどね。

さて、もうすぐ、読破。そして、次はサンスクリット語で読み直し。

さて、僕は涅槃に近づいたのでしょうか?

Kindle Oasis の充電 あれ?

Kindle端末のバッテリーを鍛えています。
おかしいなぁ、空っぽから1時間ちょっとで充電ランプが緑に変わっちゃった。
こんなに早く充電が完了するわけがないんだけどなぁ。

画面の電池マークにはイナズマが表示されているので充電中なのかなぁ。
それとも、通電中はイナズマが表示されっぱなしなのかなぁ。

カタログ的には後1時間くらい充電にかかるはずなので、もうちょっと待ってみよう。

Kindle oasis バッテリー鍛え中

電子機器全般に言えるんだけど、買ったばかりの内蔵バッテリーって本気モードじゃないんだ。
リチウムバッテリーというのは、専用のコンピューターみたいな制御装置が付いていて、実際に使った電力と充電量をコントロールしている。

買ったばかりの状態だと、設計上のバッテリー容量と実際の容量を制御装置がきちんと把握できていないんだ。そこで、バッテリーを一旦完全に空(というか、シャットダウンするまで使う)にして、制御装置に空っぽの状態を記憶させる。実は、制御装置は「そろそろ空っぽのはずだよ」と何度も警告を出すんだけど、それはバッテリー組み込み時のなんちゃって空っぽ。そこで、その警告を無視して、勝手に電源が切れるまで使い続けるんだ。

電源が切れたら、そのまま満充電にする。これで制御装置は、バッテリーのゼロ状態から完全充電までの実行上の充電量を把握できるんだ。そうすることで、バッテリーの能力を十分に引き出せるんだ。

ただ今充電中

ということで、さっき完全放電空っぽ作戦が終了して、ただ今充電中。
あ〜、読書ができないなぁ、3時間くらいで満充電のはずだけど。午後2時くらいかな、読書再開は。

あ、仕事しよう。

本が読めないのは、イメージの収まり!

WEBコンテンツの制作というのは、作って反応が出るのを待って、そして修正してというのを繰り返す。反応を待つ間が、僕の執筆と研究の時間なのだが、読まなければならない本がたくさんありすぎる。

でも、実は、僕は本が読めない。いや、読めなかった。読めるようになったのは大人になってからだ。

読めない理由は発達障害というか学習障害みたいなものなんだけど、このところ理系思考を研究しているうちに気づくことがあった。
それは、思考活動の段階を研究してる時に見えたんだ。人は入ってくる刺激(入力)に対して、それを頭の中で思考するわけなんだけど、その入力量に対しての思考量を考えたんだ。

すると、1を聞いて10を知る、というとかっこいいが、多動の原因でもあるんじゃないかと思うのが、1を聞くと10のイメージというか10の思考が広がる、という脳の特性があると思うんだ。その10の思考が1つのテーマではあれば「10を知る」だし、別々の10のことであれば「注意散漫」となるんだな。

僕は天才か?

そんでもって、僕の場合は、特定の分野においては「10を知る天才」なんだけど、小説みたいなものは「全然違う10のイメージ」が飛び出てきて注意散漫になっていると観察できるんだ。

溢れるイメージのうち、いくつかをその本の中身にリンクできれば読解が進むことがわかるんだけど、他に出てくるイメージをどうするのかが、実は難しいんだ。そこで、僕はメモを取ることにして、溢れるイメージを収めることにしている。これはけっこう効果的だった。

というか、何も考えずに読めば、何の問題もない。

みんな頭空っぽで読んでいるの?

弊社の従業員が読書好きで、かなり速読だ。そこで、本の中身について質問してみると、あれれ、概要は掴んでいるけど、けっこう肝心なところを読んでいないぞ。それって、考えずに読んでいるってことだな、と思うんだ。

そうね、それでいいのよね。