理系人間に褒められた

理系人間が集まると、誰がどれだけ凄いかという事がハッキリ見えるんだ。
それは小さい時から感じる。ちょうどスポーツ選手が相手の力量を見抜くようなものだ。
ひょっとすると、理系素養というのは、スポーツと同じなのかもしれないと思うんだ。

さて、「理系にしか読めない本『文系を理解し、操縦する方法』」という本が1月3日に発売になり、さっそく我が人生でも最も理系で優れていると思える友人が読んで、感想をFacebookに上げてくれた。

>早速読ませていただきました。あと3、40年くらい早くこの本に出合っていたら、自分の人生はだいぶ変わっていたかもしれないな。

今後の参考にさせていただきます。

ありがたいなぁ。

もう1人、僕の小説に出てくる愛すべき理系人間のM氏も早速読んでくれて、分かりやすいと喜んでいる。

やはり、理系のために書くことが、今年のテーマですな。
さて、次のリリースはいつか? 実は新刊は2年ぶりになってしまっている。今年は理系本を10冊くらい書きたいなぁ。

理系にしか読めない文学「地球を滅ぼす普通の人」の一節

書き始めた新ジャンルの一節をちょいと紹介しておきます。

自分と他人のフィルター

 他人に起きたことと、自分に起きたことを同じように定量できるだろうか? これは非常に難しい。他人に起きた事は客観的に見られるのに、なぜか自分に起きた事にはある種のフィルターがかかってしまう。なぜだろうか?

この事は当たり前のように思っている。しかし、よく考えてみると不思議である。例えば誰かの親が死ぬ、そして自分の親が死ぬ。同じように感じられないのはなぜだろうか?

心は内向きと外向きがあるのか

一般論として、他人事と自分の事には大きな隔たりがある。それを定量的に考える人はあまり見かけない。では、あえて定量的に考えてみようじゃないか。

まず、外から入っている情報とは何か。五感を通して脳に入る。入ってくる情報量が同じでも、人によってそれを認知できる量が異なることは容易に想像できるだろう。つまり、入ってくる量に対して受け入れる量が異なるわけだ。同じ人間でも、体調や気分、入ってくる情報の性質によって受け入れ方に差が生じる。その現象を分解整理してみた。

  1. 入ってくる量を「入量」としよう。
  2. 受け入れた量を「感量」としておこう。

  3. その感量に対して、頭の中で色々な思いが生じる。その量を「思量」としよう。

  4. その思量に対して、何か行動したり、反応したりするが、それを「出量」としよう。

さて、他人を観察する場合、他人からは1と4しか見えない。しかし、これだけでも定量化できる。さらに、「入量」と「出量」の大きさだけでなく、2つの現象の間の時間量がある。ここで他人を観察して分かる事を書いておく。

パターン①「入量>出量」

パターン②「入量<出量」

お分かりだろうか? 具体的に言えば、会話の中で、沢山の話をしないと相手の返答が来ないのがパターン①だ。逆に、1言えば10帰ってくるのがパターン②だ。これを数学的に読み解くとどうなるだろうか?

微分型と積分型の人間がいる

そう、お分かりだろう。パターン①は、多くの情報を集めないと行動しない人間で、脳が積分型の回路になっているように見える。一方のパターン②は会話の微分量に応じて出量が変化する。つまり、微分型の人間だ。

さらに、入量から出量までのタイムラグをみると、すぐに反応するタイプとゆっくり反応するタイプがある。頭の回転の良し悪しと言って良いだろう。

実は、この分類は櫻井知育研究所の櫻井先生が提唱しているものだ。2・3歳児の観察で、上記の分類に気づいたとのこと。つまり、人間は生まれながらに脳の反応の仕方が違うらしいのだ。

自分の中でさらに定量化してみる

さて、人間には積分型と微分型の人間がいることがわかった。さて、最初の定義を思い返してみる。入量に対して認知できた量である「感量」があった。

「入量=感量」であれば理想的だが、実際には「入量>感量」だ。つまり、人間は五感に入ったものを全て認識できるわけではない。では、何%が受け入れられるのか。これも個人差があり、年齢によるバイアスもかかるだろう。しかし、ここまではかなり物理的な問題だと思える。要するに、認知する脳の性能の問題だ。

さて、問題は感量に対して、それをどう考えるのかという「思量」だ。どんなパターンが考えられるだろうか?

パターン③「感量>思量」

パターン④「感量<思量」

パターン③は、頭に入ってきた情報量に対して、頭の中で考える情報量が少ないパターンだ。

ほら、理系しか読めない文学でしょ! いひひ
・・絶賛執筆中・・

理系文学『世界を滅ぼす普通の人(仮題)』を書き始めました。

長年文章を書いてきましたが、やっと気付いたのが、僕が書くものの性質は、「理系ど真ん中で文系の人にはわからない」ということです。
世の中の仕組みというか、考え方のバリエーションを分析しているういちに、理系と文系は根本的に思考が違うのだとわかりました。
そして、単にそれが「僕の説」ということではなくて、古代インド哲学の中で2500年前に語られていたのを発見したのです。

ということで、もう、芥川賞とか直木賞とか、そういう市場は無理だとケジメをつけまして、人口の1%にも満たない純粋な理系にしかわからない超ニッチな分野へ邁進します。

その第一弾は、別に紹介した「理系にしか読めない本シリーズ1『理解を理解し、操縦する方法』」という酷い題名の実用本です。
文系の人は読めないし、読まない方がいいです。

理系文学を開拓しよう

そして、第2弾は『世界を滅ぼす普通の人』です。理系にだけ通じる文体で書きます。おそらく、医者・薬剤師・物理学者・数学者くらいじゃないと面白みが解らないと思います。というか、それを目指して挑戦します。

そもそも、物理の楽しさ、数学の美しさは、ほんの一部の人にしかわかりません。それと同じ方向性を持った文学というものを開拓したいと思っています。

ただ、僕の本の小説『酒を飲む酒1』を楽しめた人は、読めるかも知れません。
つまり、理系職業でないと読めないのではなくて、ある不思議な世界観を共有できる人は、本当に面白さを感じていただけると確信しています。

ポイントは、知る喜び、探求する喜び、世界を理解する喜びです。まさに、数学や物理学ですね。

ご期待ください。

やっと1冊出版:審査中

理系にしか読めない本シリーズをスタートしました。

第一弾は『文系を理解し、操縦する方法』
ちょっと攻撃的なタイトルですね。変えるかもしれません。

内容は、コミュニケーション下手な理系への贈り物。
なぜゆえ自分たちは理系なのか? どう文系とコミュニケーションを取るのか、などなどの本です。

文系には読めないと思いますので、悪しからず。

新年は、お袋の入院で病院執筆中

お袋が怪我の跡の悪化で入院中。
看病で病院に詰めているので、そこで執筆。
正月の病院は、初詣会場のようで、意外に賑やかです。外科病棟だからかなぁ。

12.8インチのiPad Proで執筆は、けっこう快適です。というか、iOSの日本語入力は不便な部分も多い(全角スペースがキー入力できない、予測変換をオフにできななど)けど、まぁ、道具なので使いこなせば良いということですな。

執筆ツールは何度も書いているけど、Scrivener。パソコン版はメニューが日本語になったので使いやすさ向上。

ということで、今年は病院執筆から年初め。