時代の流れと映像作品

どうも、世の中の流れが映像へ向かって流れているようだなぁ。
まぁ、物書きとして文字文化は重要だと思うんだけど、文章にしても、その骨格となるストーリーや構成という、始まりから完結までの流れと、その中の納得や感心や驚き、満足という要素の積み重ねだ。
それを映像に置き換えても、骨格は同じだ。文体が出演者のキャラクターになるし、何を伝えるかという部分は文章も映像も同じだ。

そんでもって、誰でも簡単に映像が撮れて編集できる時代なのだから、文字にこだわる必要はない。
ただ、映像には文字にはない「装飾」があって、これはお金がかかることだ。出演者の服装だったり、背景(部屋など)だったり。

40年来の友人である作家の今一生くんが、YouTubeでかなり稼いでいる。彼は僕よりも文章の人間だし、売れる本を書いている。
僕はどちらかというと、元々テクニカルな物書きだし、誰かに技術や情報を伝えて、それをベースに人生を面白く展開してもらいたいという人間だ。

そこでYouTubeなどの映像を見直してみると、実は雑誌にCDやDVDが付録になり始めた頃に、その中に映像作品をかなり提供していた。
テレビ番組もたくさん作ってきたし、僕自身が出演する作品も多数ある。しゃべりに関しても技術も経験も豊富だ。

にもかかわらず、自分を主役にした作品というのは、あまり触手が伸びない。でも、そろそろやらないとダメな時代な気がする。

他社が作るコンテンツでは、講師としてセミナーを行うなど、たくさんやっているのにね。自分だけやろうと思うと、なんだか気恥ずかしいんだよね。

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