易経を見る

一部に知られているようですが、私は易経に優れています。もともと易経は漢詩で書かれており、中国の長い文化のビッグデータと言えます。

占いとしての易経には様々な流派がありますが、大元の漢詩を読めば、あまり占いの手法には関係ないことがわかります。
そういう意味で、僕は易経を読むのが好きで、素直に読めば、今後どうするべきかが自然と判明するのです。

易経は元々、君主がどうするべきかを判断するための政治手法として研究が進んでいて、後から一般庶民の人生相談が加わり、そこに季節や日付や方位というような、いわゆる「占い」の要素が入ってきたという経緯があります。つまり、元は占いじゃなくて政治学です。占いは後付けです。

なので、何でも原点主義の僕は、大もとの漢詩を重視して読み込んでいます。

易経の面白さ

ネットや書籍で解説されている占いとしての易経の解釈は「日本人は全員が米好きだ」というような、非常に大雑把なものです。おみくじくらいの文章で解説されていますが、それじゃ、ほんの一部しか訳していないことになるのです。それをそのまま鵜呑みにすると大間違いになります。
易経の出目というか結果には「大有」とか「帰妹」というような64種類の題名が付いています。それを見ていろいろイメージできるのですが、それだけでは不十分で、さらに6段階の成長段階(どの過程にあるか)の方が重要です。
分かりやすく言えば、「大吉」と出ても、「上」という6段階目の最後に当たっていると、「大吉が既に終わっている」と解釈します。つまり、幸運でも何でもなく、むしろ、これから悪化の一途だから対処しなければならないと解釈するわけです。さらに、その対処方法に関しても、過去の偉人たちはどう行動したかが漢詩や2500年前の解釈文に書かれています。

64種類の人生の岐路と6段階の成長過程の組み合わせを、実際の人生の今の瞬間と見比べて、一体何を示されているのかを判断するのが易経です。

その判断の方法こそが、影響の極意なのです。

骰子

コメントを残す