桜風涼の出自

ちょっと自分の歴史を調べていた結果を書いておきます。

本名:

渡辺健一

出自1:

父方の会津藩藩士・金澤家の直系長男。

金澤家は、江戸三田に菩提寺を持つ旗本で、会津藩の財政再建の折、会津藩に仕えることとなる。

明治維新で土方歳三と共に北海道の五稜郭で戦い、終戦を迎えるも、金澤の姓を名乗ることをやめ、妻の渡辺姓を通名とした。
それゆえ、一族内では、金澤(かねさわ)と称す。名は「藤馬(とうま)」で、これは母方の流れの呼び名である。

ちなみに、金澤家は、江戸に1軒。当然のことながら会津藩にも我が一族の1軒のみ。江戸の金澤家は、現在の港区三田にある徳玄寺が菩提寺。渡辺家の菩提寺は同じく三田の荘厳寺で、隣同士である。

金澤という姓は、北条氏の分家であり、現在の金沢文庫(神奈川県)を起こした家である。

出自2:

母方は、長州藩の重臣。

老中直下の役職だったが、明治維新では幕府方を支持する保守派のトップだった。それゆえ、維新後に轢殺され、現在もなお、氏姓を公表することを一族内の御法度としている。
菩提寺は、山口県萩市にある某寺。こちらは、毛利家の母方の菩提寺であり、その歴史は関ヶ原の合戦の前まで遡る。

備考:

武家としての教え

家としては母方が大きな武家だった。それゆえ、母からは、今から思うと不思議な教育を受けたと思う。子供の頃は当たり前だと思っていたが、例えば長男最優先だとか、家を出たら一言も無駄口を叩かず無言を通せ、だとか。
我が身を捨ててでも、信ずるものを助けよ、というものある。そういう目線で今の日本を見ると、我が身のみが大切、というような奴らばかりに見えて、心が苦しくなる。明治維新で、武家ではない者が天下を取ったのだから、仕方ないのかもしれない。それゆえ、日本人には武士道を思い出して欲しい。

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