lighthouse on mountain near ocean under sky at sundown

台本執筆が楽しく苦痛だ

遅れ遅れになっているVシネの台本を書いている。
仕事としての台本書き、まぁ、楽しいんだけど、やはり何もないところから書くので、不安は拭えないねえ。
それが創作というものなんだけど、今回は先に設計図を書いてあるので、通過点やゴールは決まっているんだ。その間を埋めるようにシーンを書き込んでいくんだけど、地図を見ながら徒歩で知らない町を歩いているような気分だね。
わくわくすることもあるし、始めて見る景色に感動したり、驚いたり、ガッカリしたり。
それを繰り返して、規定の完成尺へ向かって書いていくんだ。
テレビ番組だと、一秒以下の時間まできっちり作らなくちゃいけないんだけど、映画の場合はそれほどきっちりしていない。でも、台本から撮影と編集へ進むと、本当に設計通りの尺になるのか不安になったりする。

台本が設計図だ

はじめて映画に関わったときに、ベテランの照明さんから僕の書いた台本が長いと言われたなぁ。新米の自分としては、2時間に収まると思っていたんだけど、照明さんは単純に台本のページ数で完成尺を長いと判断していたんだ。

「何十年もこの仕事やっているからさ、どんな書き方がでもさ、だいたい台本のページ数どおりの尺になるんだよ」

それはベテランになった自分も、今は、そう思うね。
まぁ、もっと細かく見られるようになったから、ト書きがどのくらいの尺になるのかも分かる。だから、尺が伸びそうなト書きは改行を多めに入れて、実際の完成尺とページ数に差が出ないように書くことも覚えたね。

新米は書き過ぎる

いろいろな現場に関わったけど、脚本家や監督が若いというか、経験不足だと、総じて尺が長く鳴っちゃう。台詞も言い過ぎちゃう。まぁ、今でも僕も書き過ぎちゃう。ついつい、心配になって書き込みを多くしちゃうんだね。
でもね、そこから削っていくと、いい作品になるんだけどね。

さて、続きを書こうかな。

コメントを残す