ウパニシャッド、シンプルで面白い

古代インド哲学の原点というか本流と言われているのが『ウパニシャッド(聖典)』なんですが、これまでに『ラーマヤーナ(神話)』『マハーバーラタ(日本書紀っぽいもの)』の一部と『バガヴァッド・ギーター(マハーバーラタの一部で、もっとも有名な逸話)』、『ヨーガ・スートラ(悟りを開く方法≠健康美容体操)』、『カーマ・スートラ(欲の教典)』、その他の解説本などを読み込んで来たんだ。

ほんの少しだけ、サンスクリット語も読めるようになったんだ。

ギーターとヨーガ・スートラのサンスクリット語を読む

本当はウパニシャッドから読むべきなんだろうけど、ギーターが最初でした。でも、まぁ、ギーターが最もわかりやすくて、素直な心の持ち主である人間の代表のアルジュナと創造神クリシュナの問答集。つまり、素直だけど平凡な考え方のクリシュナに、神様が沢山の事例を挙げて人間とは何か、命とは何か、どこへ向かっているのか、などを説明しているんだ。
ギーターさえ読めば、インド哲学(≒仏教哲学)のほとんどが分かると言われているぞ。

ヨーガ・スートラは、ヨガの先生達に大人気の思想書で、ギーターが物語構成なのに対して、ヨーガ・スートラは教科書的になっているよ。ただし、ヨーガと付いているけど、ヨガのポーズなんてぜんぜん出てこないよ。逆に健康体操は否定している。何かのポーズで真理(世の中の仕組みや生き方)が分かるということじゃなくて、真理へ到達する方法を称してヨーガというんだけど、その中には瞑想と呼吸法があるって感じ。でも、ギーターよりは学術書っぽい。ギーターよりも用語が多くて複雑。実はヨーガスートラは短い詩篇で、サンスクリット語の逐語訳の本を手に入れたので、さらにサンスクリット語文法書、サンスクリット語辞典も手に入れて、自分でも翻訳しながら読んだんだよね。
すると、ヨーガ・スートラの解説者(インド人教授様)の訳がなかなかしっくり来ない。サンスクリット語が英語に訳されて、さらに日本語になっていることが原因だと思うんだな。なぜそう訳すのかが分からない詩がいくつかあった。自分の解釈は本にメモ書き。そこで、原典であるウパニシャッドを読まないと、どちらの訳が正しいか判断できないんだ。
ちょっと道を逸れるけど、インド哲学の真髄は、目に見えない、聞こえない、触れられない、味わえない、匂えない、つまり人間の五感で認識できないものを理解するということなんだ。しかも、言葉にもできないものを理解する、というのがテーマ。すごいよね。

ウパニシャッドの下読みは楽々

そして、ギーターとヨーガスートラと読み込んでみて、原点であるウパニシャッドを読んでいる。もうすぐ読破するよ。
でも、すでにギーターとヨーガスートラをサンスクリット語と並べて読み込んでいたので、日本語訳(意訳)のウパニシャッドは、楽に読める。復習みたいな感じ。

ウパニシャッドは、数種類あって、〜ウパニシャッドというようなものだよ。
手に入れた解説本(Kindle本)が非常によくできていて、読むべき順番に並べられているし、この部分はギーターに引用されているとか、かなり詳しいんだ。
まぁ、その読むべき順番も、古代インドで確立された読み方なんだけどね。

さて、もうすぐ、読破。そして、次はサンスクリット語で読み直し。

さて、僕は涅槃に近づいたのでしょうか?

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