「雑記」カテゴリーアーカイブ

実用本の書き方

「実用本の書き方」を出版して1年が過ぎようとしています。
テンプレートを使って書くというコンセプトなんですが、このブログのアクセスログを見ると、あまりダウンロードされていませんね。
かなり使いやすいと思うんだけどなぁ。

編集者と仕事をしているのと同じようなやり取りをExcelでできるので、かなりいいと思うんだけどなぁ。
みなさん、ダウンロードしましょ。

ただ、パスワードでロックされているので、ちょっと使い始めが面倒かもしれません。
パスワードロックを外しておこうかな。

ということで、久しぶりにテンプレートをアップグレードしようと考えています。

Kindle読書と紙本の読書

Kindle作家を標榜しているので、Kindleで読書を推奨するのですが、もちろん紙本の読書も大切だと実感しています。

僕の場合、Kindle本はさらさら読める作家の筆力が高い作品を読むようにしています。
紙本は、大学教授などの学術本の場合の選択肢になっています。

紙本の購入は、僕は色鉛筆で線引きをするのが目的になっています。
線引きしないと読めない難読書は紙本に軍配が上がります。
また、資料にする本も紙です。素早く資料を検索できるからです。

Kindle本は、寝ながらでもお風呂でも読めるのが特徴です。
ページ目繰りが遅いのが難点です。
ただし、読めない漢字や用語は辞書が搭載されているのでいいですよね。

Kindleと紙の使い分け、もう少し研究を進めます。

【スーパー熟読術】そろそろ書き上がる!

やっと一冊書き上がります。
熟読の本です。
難解な書籍を楽に読む技をマスターします。
これで読書が苦手なあなたも、読書の楽しさが広がります。

さらに、レポートや論文、書籍の執筆に最適な一冊。
なるほど、そうやれば短期間に本が書けるのか、という内容です。

メモの効率の良い使い方

メモの本を読んで目から鱗でした。
デジタルで情報をまとめてきたここ30年ですが、間違っていた。
デジタルでデータをまとめると、いろいろと遅いということがやっと分かったのです。

デジタルのいいところもあるんだけど、メモに関しては紙がいい。
それをまとめて本にするならデジタル。

ということで、メモを片手に生きていこうと思います。

脚本と小説と実用書と

Kindle向けに本を書き始めて丸3年です。
当初の計画では、すでに30作品を出版し終えて、印税ウハウハ生活だったのですが、書けたのは予定の3分の1程度。

さて、昨日は仕事で脚本を書いていたのですが、実用と童話の中間くらいの作品なので、かなりスラスラ書けましたね。
文字校正も3カ所くらいで、かなり完成度が高い台本だなぁ。

自治体の入札コンペに出すものです。
出来レースじゃなければ、いい線に行くはず、経験則ではそう思います。

さて、このところ、難解な書物を如何に楽に読み解くのかという研究をしています。
宗教の歴史や思想の違いを比較するために、多くの専門書を読んでいるのですが、いい読み方を発見しました。

その読み方については、今、本を書いています。
かなり素晴らしい読み方ノウハウですよ!

実は、紙の本を使って、難解な書物を超短時間に読み解いて、その読書から書籍まで書けるようにしようという、ちょっと欲張った内容です。

乞うご期待!

執筆ツールポメラDM100のゴム足を取り替えた

キングジムのポメラDM100を愛用しているのですが、ゴム足が減ってきていて、しかも1個がなくなってしまいました。

キングジムのサイトに行くと、あら、普通に足が買えるのね。

DM100のゴム足は二種類あって、手前の丸長の3個のゴム足と、液晶パネルの根元のL字の2個の合計5個です。1個100円くらかな。

最初に適当に買ったらL字で、あれれ、これじゃない。
ということでさらに買い足し。丸とLと各5個ずつ購入しておきました。

結局、5個全部を新品に取り替えました。
気分爽快。

 

霊感に導かれて、会津から江戸へ(4)

<会津から江戸へ>

さて、僕のご先祖様:金澤家ですが、会津出身ではなく、どこかの旗本の出だろうということになりました。もちろん、ぜんぜん関係なく、なんとなく金澤という姓を名乗っただけかもしれません。記録には「不詳」としか書いていないからです。

もう少し目録を読んでみると

「菩提寺:江戸三田徳玄寺 福徳山妙音寺」

と2つのお寺が書いてあります。後者の妙音寺は会津のお寺ですから、これは地元の菩提ということになります。でも、先に書いてある江戸三田の徳玄寺は?

このお寺、今でも港区の三田にあります。実は…、怖いので後で。

つまり、菩提寺からすると、金澤家の出身は江戸ということになります。
ますます旗本の線が濃厚です。江戸から、こんな離れた会津へやってくるというのは、相当なコネとか主従関係がないとあり得ません。お殿様が代わる時に、実務者(役人=武士)の入れ替えが行われたようなので、その時に江戸でスカウトされたのが金澤治左衛門成昌さんだったということです。

他の金澤家というと、信州にも有名な家系があるようですが、江戸の旗本という線だと、大先生の言うように、北条家から分かれた金澤家が有力です。

それにしても、そんな名家がご先祖様なのでしょうか?

<霊感スタート>

前にも書いたかも知れませんが、我が一族(母方)には、霊能力者がたくさんいます。その霊能力で古代の遺跡を発掘して国宝発見なんて従兄弟は、文化庁で文化財の審議官にまでなっています。詳しくは別の機会に書きますが、僕は霊感ゼロ、でも、僕の周りでは霊感ばかりで大変です。

さて、菩提寺の江戸三田徳玄寺ですが、実は、今の渡邊家のお墓のある三田荘厳寺のお隣にあります。荘厳寺は、父方の祖母が、戦後に自分で見つけて菩提寺になりました。渡邊家の本家の墓は水戸にあります。なんで三田のお寺なのかおばあちゃんに聞いたことがあったのですが、いろいろ探してココが一番良かった、とのこと。直感かよ、墓選び!

そして、金澤家の菩提寺の徳玄寺ですが、なんと、お隣にあるだけじゃなくて、宗派も山も同じです。たぶん、兄弟のお寺なんじゃないかなぁ。今度聞いてみます。

そして、こんな偶然は、大したことはないのです。

<叔父の枕元に、金澤様、立つ>

そして今朝、一族の霊能力者ナンバー3である叔父(母方末弟)から電話がかかってきて、
「健一か、お前さんが、なんていうか、パンドラの箱を開いてしまったので、俺の所に金澤様が来られてな。
ああ、お前が今回、繋いでしもうたのでな、仕方ないな。
あのな、もっと古い金澤家を調べてほしいとのことじゃ。おそらくな、1100年代くらいらしいぞ。会津へ行ったのは、おそらく分家の分家くらいらしいが、本家筋がな、ちゃんと調べてくれとな、そう仰っているぞ」

そう、会津の大先生の言うことと、叔父の枕元の話が一致しています。
ということで、さらに調べる運びとなりましたとさ!

霊感に導かれて、会津から江戸へ(3)

<古文書が読めない…>

20ページもの古文書を前に、途方に暮れていると、目の前の席に座っていた初老のおじさんを目が合う!
「こんにちは! ご先祖様の系譜を調べに来たんです」
と、
「どれどれ」
と、古文書を手にとって音読開始!
えええ! 読めるんですか!
「これは簡単な方だよ」
えええ、大先生だ! ラッキーなこともあるものですね。

ということで、分析開始。

<出身地不詳:だが武士の身分>

さて、目録の「安永9年に召し抱えられた時の記録」には、出身地も本姓も不詳とあります。つまり、会津生まれではなく、財政再建が急務の会津藩にどこからか雇われた。
大先生によると、この時代に、外から来て武士の身分で登用される場合、江戸や殿様の出身地の旗本(いわゆる殿様と呼ばれる身分)の次男三男坊というのが定番だそうです。

なるほど、確かに身元が怪しい人間が武士として雇われる訳がないですね。しかも、会津藩は、徳川3代将軍の実弟と認められた親藩大名です。相当な家柄でないと登用されないわけですよ。

「会津藩に雇われる、外からの武士階級ってのはね、旗本の子息っていうのが定番でね」

なるほど、大先生曰く、金澤という名字は少なくはないが、旗本出身の金澤に絞ると、それほど多くないんだって。

「金澤さんか、これはね、「かなざわ」と読むか「かねざわ」と読むかで、歴史が違うんだよ!」
えええ、そうなの?
「確か、旗本で金澤っていうと、今の横浜の金沢八景の金澤家くらいじゃなかったかなぁ」

えええ、なんでそんなに詳しいの?

「ぼくはね、中世が専門でね、その時代だとなんとなく分かるんだよ」

そこで、日本の氏の本を探し始める。すると、
「江馬小四郎義時が〜」
と、大先生、ここまで読んで、
「あ、これは北条義時のことね。その息子の五郎実泰が〜〜」
と、現在の金沢文庫の基礎を作った金澤家の興りを解説。
つまり、今の横浜市金沢区に、実泰が武蔵国の国守になって金澤郷を作ったのが始まり。この家は北条氏の親戚なので、有力御家人(旗本)となり、うんぬんかんぬん。

あらあら、僕はニコニコしているだけで、西暦1100年くらいまで遡っちゃった!

さて、この金澤家が、ぼくの先祖なのか? それは、我が一族(母方)の霊感によって補完される。

(つづく)

 

霊感に導かれて、会津から江戸へ2

<2日目は台風の中、図書館で霊感な出会い>

図書館へ行きなさい、というのが初日に印象的だった言葉です。
ですから、ホテルにチェックインしたときに朝食は何時にしましょうか、と聞かれて、
「図書館は何時に開きますか?」
と返す。
フロントマンが調べてくれて9時会館。
「では、7時に朝食を」

ということで、初日の夜は劇的に美味しい夕飯バイキングと温泉でのんびり。

2日目の朝、台風が酷くて、あちこちが洪水だそうです。
でも、会津若松は普通の雨って感じ。

図書館はホテルから10分ほどで、ラッキーなことに駐車場は地下。雨にも濡れずに館内へ。

<司書の若いお嬢様が、あっという間に見つけてくれた>

さて、図書館へ着いて受付で、
「ご先祖様を見つけに来ました」
というと、土地柄だけあって、またか、という顔。
「事前に調査依頼は?」
へー、そんなことが出来たんだ。
「いいえ、でも、姓名も役職も分かります」
と告げると、専門の司書さんを紹介してくれた。そらく20代の綺麗な女性。
「金澤定吉という名前だそうです。明治維新の時には普請方だと聞いています」
お嬢ちゃん、それをメモして、書棚へ一直線。武家の名簿目録ってのがあって、
「金澤家って、たしか一軒しかなかったと思います」
え? なんでそんなことまで知っているの? すげぇ。

目録を開くと、確かに一軒しかありません。
「金澤治左衛門成昌」
これが会津藩に召し抱えられた一番最初の金澤家の人。安永9年6月(1780年)だそうです。時代は第5代藩主容頌さまが藩主となったころ。先代までの財政混乱と飢饉で、会津藩は崩壊の危機に、この殿様になり、名家老:田中玄宰を登用して政治改革!
不正役人を首にしたり、敏腕役人を各農村へ送ったり、藩校を作ったり、朝鮮人参を作って売ったりと、あっという間に財政再建! この一番面白そうな時代に、我がご先祖様は会津藩に仕えることになったようです。殿様と家老の名コンビで今の会津藩の反映の基礎を作ったわけです。
その時代に雇われたのが金澤家だったのです。

司書のお嬢様が持ってきてくれた【諸士系譜目録】から分かるのは、ここまで。
これをコピーしていると、お嬢様が、さらにぶ厚い資料を持ってきてくれた。
それは、先ほどの目録の原本で、古文書です。筆のニョロニョロ書き! しかも、我が金澤家のページは長い! 20ページも続いている!

 途方に暮れて、コピーを見つめる僕、すると思わぬ展開が!

(つづく)