本日は、撮影のお仕事。
空撮で柏の葉を紹介するんだ。
その台本を書いたぞ。
でも、天気があまり良くないなぁ。
本日は、撮影のお仕事。
空撮で柏の葉を紹介するんだ。
その台本を書いたぞ。
でも、天気があまり良くないなぁ。
でっかいアンテナを立てたんだ!
それで短波ラジオを聞いていたら、北京放送の日本語版が聞こえてきた。
かなり上手な日本語だったなぁ。
中国は科学大国になるために、いろいろやるんだってさ。
それから、日本人向けに中国語講座をやっていたぞ。
ラジオは面白い!
執筆気分が高揚中!
今書いているのは、
1:霊能力の本
2:キャンピングカーが人生を変えた
他にも書きかけはいくつかあるんだけど、とりあえず、この2つはけっこう進んでいるんだ。
車で遠出をすると、ラジオ局がどんどん消えては現れる。
つまり、地方ごとに周波数が違うので、その場所に応じた周波数に合わせないとダメなのね。
そこで、無線機に地方ごとの周波数を分類して入れたのだ。
これで少ない操作でその地方のラジオが簡単に聴けるぞ。
そうだ、コミュニティーFMの周波数も登録しておこうかな。
どこに一覧があるのかな? 探そう!
今回は5泊6日の車中旅でした。
そのうちの2泊は旅館です(取材でご招待、イヒヒ!)。
走行距離は1800キロちょっとでしたよ!
そんなに車で長旅して、さぞや疲れたでしょう、言われるのですが、ぜんぜん、疲れてな〜い!
旅に出て疲れるのは、それは「ダメ旅」です!
きっと、無理なスケジュールや、行くところを詰め込み過ぎですかね。
せっかく来たのだから、あれもこれも見たい、というのはわかる! よくわかる!
ぼくは、な〜んにも決めずに、目の前に現れた観光地をゆっくり見る。その分、日数を長く取る。
まぁ、若い人にはなかなかできないかもしれないですね。
ぼくも50代になって、やっとそんな旅ができるようになった。
その長旅では、いろいろな人に出会って、会話して、ゆっくり見てゆっくり考える。
だから、疲れない。
あ、食事も重要ですよ。
質素な食事は疲れない、それが結論。
観光地で観光のご飯を食べると、これも疲れるみたいだなぁ。
好評な『本の書き方・入門』に、新たに『エッセイ』の書き方を追加しようと思っています。
これまでは『教科書型』『カタログ型』の2種類で説明してきましたが、Facebookやブログを元ネタにした本の書き方も追加しようと思います。
すでに『本の書き方・入門』をお読みの方には、この部分だけ抜粋したバージョンを作るか、本編をアップデートしたバージョンで再ダウンロードしていただくか、迷っています。
今月は14日間も車中泊ですね。
いい感じですね。
楽しいですね。
車中泊に必要なことは、
1:完全に横になれる平らな寝床。
2:バンザイができる屋根の高さ(最悪でも寝返りできる十分な高さ)
3:食事や事務仕事ができるそれなりに広い机(取り外し可)。
4:炊事ができる装備(コンロと電子レンジ←必須!)
5:トイレ設備(ポータブルトイレ)
6:完全な遮光カーテン
7:駐車中の冷暖房装置
8:虫除け(網戸)
9:食料庫(水含む)
ですよ。
<1番は必須です。さらに2番も重要>
車の座席を伸ばしてフラットにするのでは、ぜんぜんダメです。硬さが一様ではないからです。
熊本の震災で車中泊をしている人が大勢いましたが、車に板を入れていましたよね。完全な平らで硬い床が必須なんです。
(その上に普通のマットレスを敷くのがいい)
ぼくは、以前、プリウス(30型)の後部座席を倒してフラットにして(1番はクリア)寝床にしていたのですが、2番をクリアしていなかった。
プリウスの後部へ足を伸ばして、自分の頭は後部座席の上にしていたので、頭の上は手を伸ばせるくらいの高さでした。でも、寝返りをするのに、足がハッチドアにぶつかる。しかも、この状態で座る姿勢になると、頭が天井にぶつかっちゃう。
つまり、寝られるけど、かなり窮屈。
そして、足を上げられないのが実は非常に苦しいんですよ!
この状態で7泊8日の旅をしましたが、帰ってくるとクタクタ! 身体中が凝ってしまって疲れが蓄積!
そこで、今乗っている軽キャンピングカー(スズキのエブリイ(商用車)ベース)に転向。
商用車なので後部が完全に真っ平らになります。キャンピング仕様なので、さらに、その荷室にフローリングが敷いてあり、
前後185cm、幅135cm(狭部85cm)、高さ135cmあります。
セミダブルベッドを想像してください。病院のベッドくらいかな。
身長170cmの僕が座った状態でバンザイをすると、ちょうど天井に手のひらがつく高さです。
狭部というのは、左右に家具があって、片方は水洗シンク、反対側は家電のための電気設備(バッテリーなど)が入った棚です。
その左右の家具に渡し板(天板)を置くと机になります。座った感じはコタツみたいですよ。この机で物書きをしたり、食事をしたりします。
天板は桐で、非常に軽いので、取り外しが簡単。
あ、病院のベッド上に机を行くじゃないです、あんな感じです。
この机(天板)は、棚の幅より狭く、45cmほど。家具は60cmなので、15センチほど前後にスライドできます。
この機能が意外に便利で、押し込めば手前の部屋が広くなるし、手前に引くと自分が寝た状態から起き上がるとちょうどいい位置くるようになります。
つまり、仕事中は手前に引いて、寝るときは押し込む。足が疲れている時や、二人で寝る時には天板を外せばいいのです。
<食事が長期車中泊のポイントだよ>
数日の車中泊なら、サービスエリアや道の駅などのレストランで食事をすればいいのですが、長期になると自炊が重要です。
観光地の食事は1回二千円近くになるので、食費がひどいことになるのです。
自炊設備が整うと、ほとんど外食しなくなります。
それでも食材はご当地のものを買い、旅気分は大丈夫。
必須なのは、コンロと電子レンジ!
実はコンロだけで旅する時期も長かったのですが、車の中で煮炊きをすると、ガラスが曇ったり暑かったりと、けっこう大変でした。
ところがですよ! 車載用の電子レンジってのが世の中にあって、これが便利すぎる!
電子レンジを積んでから、10日間の旅の食費は、なんと7000円!
まず、ご飯が重要です。
チンするだけのご飯は1食(180g)は、45〜100円くらい。当然、45円のを大量購入!
100円ショップのレトルトカレーが優れもので美味しい! 108円でそのままレンジにかけられます。
味噌汁は1食20円くらいかな。
この3つが一番安くて満足度が大きいのですよ。
水も必要で、2L60円くらいのを買っておきます。
すると、1食の最低費用は200円程度!
このセットを20セットくらい積んでおくと、数日間の旅なら外食はゼロでも生きていけます!
<水は6L積んでいます>
水はいろいろ使います。
カップラーメンやインスタントラーメン、旅先で買った麺類などなど。
もちろん、飲料水にするのが一番多い消費です。
ちなみに、5日間で4Lくらい使います。
麺類が増えると消費も増えます。
本当は、旅先で飲み水を汲んでタンクに入れればいいんだけど、そういうところが減りましたな!
結局はペットボトルの水を買うことになりますね。
<トイレも重要ですよ>
自由な旅をするなら、トイレも必携!
40cm角の四角いポータブルトイレが1万円くらいです。
これを積んでおくと、かなり安心です。
ほとんどはサービスエリアや道の駅でトイレを済ませるのですが、大雨とか、極寒だとか、寝起きで着替えるのが億劫だとか、いろいろな場面でトイレの必要性を感じるものです。
10日間の旅でポータブルトイレを使うのは2〜3回です。でも、このいざという時が、けっこう、大切なんです。
じゃあ、ビニール袋式のトイレでいいじゃん、とおっしゃるかもしれませんね。
いえいえ、あれはダメです。臭すぎます! おしっこだけならまだいいけど、大はダメ!
しかも、漏れる危険性が大きい! ありえない!
ポータブルトイレですが、車内で大をしても、匂いなど、ぜんぜん大丈夫です。排便した間際は確かに臭いますが、それは普通のトイレと同じです。
窓全開であっという間に匂いは消えます。
ポータブルトイレのすごいところは、汚水タンクがしっかりしていることなんです。
<冷暖房と網戸>
車中泊のマナーは「アイドリングストップ」です。
長距離トラックさんは、そんなの気にしないで一晩中ゴーゴーうるさい!
ぼくは、エイドリングはしません。
そうなると、寒いし暑いし。
窓の開閉と断熱が重要です。遮光カーテンは厚手のものにします。
冬場は、床や窓に保温シート(ホームセンターで2m四方で1000円くらい)を貼りまくります。
専用の保温シートもありますが、車1台で数万円! ぎょ!
それでも真冬は寒いので、冬用寝袋を何枚も重ねます。
夏は、窓全開が基本です。そうなると網戸が必須になります。
車種専用の網戸が後部ようで1万円、運転席助手席で1万円という感じです。
それでも暑いので扇風機!
<太陽光発電とサブバッテリー>
電子レンジや扇風機、照明は、専用の電気システムを積んでいます。
これをサブバッテリーシステムっていいます。
車のバッテリーでも電子レンジなどが使えるのですが、空っぽにしてしまったら走れません。
そこで、家電を使う電源専用にバッテリーを積みます。
このバッテリーは、走っている時には車で充電、停車中は太陽光で充電しています。
85Ahの専用バッテリー(ディープサイクル:1万円くらい)と100Wの太陽光です。
これで、ハイパワーのノートパソコンと電子レンジと照明と扇風機、スマホなど各種充電をして、一度も空になったことがありません。
<収納が重要です>
さてはて、これだけの設備と食料を乗せて走るので、居住空間は荷物でいっぱいです。
電子レンジと食料が大きな場所をとります。ポータブトイレもです。
このあたりは、まだまだ研究中!
という軽キャンピングカー旅の基本紹介でした!
【桜風さん、軽キャピングカーの旅! 5泊6日目!】
月初は9泊10日で『徳島・徳山(山口)・津和野・萩・長崎・大阪』の軽キャンピングカーの旅でした。
今回は、『二戸(岩手)、久慈(岩手)、高田(青森市)、恐山(青森)、大間港(青森)、下風呂(青森)、陸奥(青森)、六ヶ所村(青森)、紫波(岩手)、会津若松(福島)、塩原(栃木)、今ここ』
今日で5泊ですが、今回はたくさんの場所に行って、いろいろな人の会ったなぁ。
今回は、ここまでで約1500キロくらい走ったかなぁ? 今回はちゃんとメーターを記録していないなぁ。概算ですね。
さて、つまり、今月は月の半分は車中の人です。
現在は宇都宮の手前の上河内SAに居ます。
予定がないので、執筆のための準備をしています。
仕事としては、クライアントのホームページの修正制作だなぁ。
あとは、空撮によるかっこいい映像の準備だなぁ。
いずれにせよ、今日はのんびりを頭と体を休めつつ、創作の脳みそのスイッチを入れます。
昨日は、遠藤周作さんの『女の一生』を読み始めたと書きましたね。
『女の一生』というのは、明治維新前後に行われたキリシタン弾圧について書かれた本です。時代が明治に変わってから、ひどい拷問が行われたんですね。
そして、明治維新まで三百年ちかく隠れていた島原のキリシタンが、開国とともに出てくるのですが、そこで捕まってしまうです。
その当時、フランスから赴任してきた若い神父が、江戸末期の島原に来るのですが、キリシタンはもういないと先輩に言われながらも、不屈の精神で探し続ける。すると、その思いが通じたのか、隠れキリシタンが出てくる。三百年ぶりに本物のキリスト教に隠れキリシタンが出会う場面で、ぼくも涙を止めることができなかった、というのが昨日の話です。
ぼくの一族には霊能力者が大勢いて、その叔母から、
「あなたの背中にクロスの烙印(十字架の焼印)が見える」
「近くの丘の上に教会があるから、行きなさい」
などと言われていたので、キリスト教にちょっと興味が湧き始めたところでした。
さて、遠藤周作さんの作品を読みながら泣けてきたので、ちょっと休憩がてら、仕事を始めました。木更津の大工さんのホームページの仕上げです。というか、ほぼ完成していて、ちょっと手直しして、その会社の契約サーバーにアップロードするという作業です。
もらった契約情報からアップロード作業をしたのですが、ちょっと変わった設定のサーバーで、FTPソフトというちょっと専門的なツールで手作業をしなければならず、ちょっと気合が入りました。
さて、翌朝である本日、その大工さんから電話があって、
「すごいよ! いきなり問い合わせが来て、すぐに仕事になりそうだよ!」
と大喜び。
僕は、
「ああ、マリア様!」
と、手を合わせました。
なぜか? わかりません。
偶然でしょうか? 必然でしょうか?
【本日の桜風さん:不思議体験続行中】
本日は、早朝のセミナーにて、我が一族の不思議体験を中心にした出来事と、それを経営につなげる(どんなこったい!)話をさせていただきましたよ。
ここによく書きますが、長州藩の重臣であったご先祖様のお墓を見つけるまでエピソードに始まり、人間が過去の人たち(主に先祖)の影響の中で生きるということがどういうことかを考えるセミナーとさせていただきました。
ここまでは、定番の内容(毎度聞かされている人はごめんね)。
本日は、それがさらに深みを帯びて来ました。
セミナーの前に、朝のセミナーの大先輩である重鎮とセミナー内容に関する雑談をしていると、この先輩が、キリシタン弾圧の歴史に非常に精通していて、津和野のキリシタン弾圧もよくご存知だったのです。
明治維新の前後で島原から津和野のキリシタン弾圧というのが行われたのですが、そのあたりの歴史をいろいろお教えいただいたのです。
ちょっと桜風さんの摩訶不思議体験を思い出してみますと、去年のお正月すぎ、叔母の49日の法事があり津和野・萩へ行ったのですが、
1:その前の日には、我が一族の陰陽師2号の叔父が一晩中、津和野のキリシタン弾圧の話をしていて、
2:その翌日の法事の後の(霊的)反省会では陰陽師1号である叔母から、
「桜風ちゃんの背中にはクロスの烙印(十字架の焼印)が見えるのよね」
と言われておりました。
3:そして、先日ですが、今年のGWにはその津和野のキリシタン弾圧の歴史を探りに津和野へ行くと宣言しておりましたよね。
そして、本日。講話者としての僕のプロフィールを見た先輩の方から「津和野のご出身ですか。あそこはキリシタン弾圧があったんだよね」
と、先に声を変えて来てくださったのです。
そして、島原での弾圧(明治期)の話など、また、その島原へ行ってきた時の話などご教授いただきました。
そして、私の講話では、私が母方の先祖だけでなく父方の先祖を見つけるのも、偶然とは思えない出会いで非常に簡単に進んだこと。また、本日、先輩より情報をいただけたの、さらに自分の背中にあるクロスの烙印の意味について、わかるのではないかと思いました。
<キリスト教との出会い>
そして、その先輩が勧めてくださった本が、
遠藤周作さんの『おんなの一生(一・二)』
です。
それを今の今まで、パーキングエリアに駐車した軽キャンピングカーで読書していました。
秀吉によってキリシタン弾圧が始まり、江戸期の徳川幕府でもご法度となり二〇〇年以上も途絶えたと思われていたキリシタンが、明治維新直前に島原に外国人向けとして造られた教会に現れるという話です。
その二〇〇年もの期間、日本人のキリシタンの子孫たちは、正式に洗礼されることもなく、ただ、村の中で口伝えに信仰を守ってきたのです。その間、毎年正月には踏み絵が行われてきたのですが、それもやりつつ、二〇〇年以上も信仰を受け継ぐ人たちがいたのです。
開国間近に赴任してきた若い神父も、きっとどこかに生き残りの子孫がいるはずという信念を捨てずに、先輩神父に「もう日本には一人もキリシタンはいないぞ」と言われながらも、探し続けます。
そのキリシタンの末裔と、若い神父が出会う場面では、僕自身も涙が止まりませんでした。
FBの書き込みでは、僕はキリスト教については「よくわからん」というのと、東インド会社とともにアジアを植民地支配してきたという2点で、軽蔑していました。
この本の中で、赴任してきた若い神父は、日本人が「キリシタン」という言葉に強い拒否反応を示すのを目の当たりにします。
「しかし、我々がアジアにしてきたことを考えれば、それも当たり前で、むしろ我々の方が反省しなければならない」
と先輩に言う場面があります。
僕は、この言葉だけで十分、救われた気がしました。
もちろん、このセリフは遠藤周作さんが創作した言葉かもしれません。しかし、クリスチャンであった遠藤さんの言葉ですから、それは若い神父の言葉として、僕には聞こえました。
さて、遠藤周作さんですが、僕の母校の先輩です。
理科系で、本が読めない軽い障害のナベちゃんは、大学に入った年に頑張って小説を読んでみようと買ってみたのが、遠藤周作さんでした。でも、数ページで玉砕。今から三十年前です。
そのトラウマもあって、本日ご紹介された本は読めるだろうかと心配したのですが、いえいえい、どんどん文字が飛び込んでくる。
まだまだ、頭のあたりを読んでいる段階です。
さらに、読み進めます。