ちょっと親父を偲んでみる

僕は現在54歳だが、今から17年前の2002年に肝臓ガンで亡くなったんだ。もともとC型肝炎だったので、本人も家族も早死にする覚悟というか、準備が出来ていた。

さて、テレビを観ていたら欧陽韮韮の歌が流れてきた。そこで、ちょっとこれを書きたくなったんだ。

満州育ちの親父は中国語を話せた

幼少時、軍属の父が満州に配属になっていて、親父は満州で何年か暮らした。
その経験からか、親父は片言の中国語が話せて、中華料理屋で店員と中国語で会話して、店員を喜ばせる場面が何度もあった。

東芝の社員だったこともあってか、台湾貿易商の友達も何人かいて、その一人が欧陽韮韮のお父さん。さらに、ジュディー・オングのお父さんとも仲良くて、彼女がデビュー前から綺麗な人だと言っていた。

仏のナベさんと呼ばれた父

高度成長期に子供だった僕は、家族を伴う親父の社員旅行によく行った。海水浴で民宿に泊まるなどだ。親父は人気者らしく、同僚や後輩社員が僕に「お父さんは本当にいい人だ」と何度も言われた想い出がある。 自分が損をしてでも、後輩を庇い、言うべきことを言う人だったらしい。

業界にも優しかったらしい

8ミリカメラで有名だったエルモに、東芝の業務用ビデオカメラのレンズを発注したと、親父が嬉しそうに語っていた。当時、経営不振だったエルモには朗報だったようだ。人差し指くらいのカメラだった。 同じようなことは何度もあって、
「**社の**さん、嬉しそうな顔していたなぁ」
と嬉しそうに言っていた。

欧陽韮韮のお父さんにしても、ジュディーオングのお父さんにしても、そんな付き合いだったのだろう。
親父の葬式には、オリンパスの内視鏡開発の有名な先生が来てくれた。世界初の内視鏡の開発者の博士で、現在のオリンパスがあるのも、その大先生の功労だと、後に僕がオリンパスと広報の仕事をするようになって聞かされた。 その先生は、親父と高校の同級生で、我が家にも何度か来たことがあった。葬式では、その先生は茫然自失という顔で、僕が声をかけても上の空だった。

欧陽韮韮の「雨の御堂筋」を聞きながら、そんなことを思い出して、カキコだぜ。

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