Kindleの免税手続き

Kindleからアメリカの納税証明の提出が求められたよん(そういう時期ね)。
昔はFAXでアメリカのお役所に登録しなくちゃいけなかったので、結構大変だったんだ。
 
今はインラインでKindleの登録ページでできるから簡単。

ぎょー、Kindle免税になっていなかった

あれ、前回ミスってるぞ、30%源泉徴収されちゃってたじゃん、ショック! 妙に印税が低くなったなぁ、と思っていたら、税金取られてた!
 
今回は、きちんとやったから、大丈夫だと思うなぁ。
承認待ち、どきどき!
ちなみに、どうやるかというと、KDPの自分のアカウントページを開いて、「税に関する情報」でペーパーレスを選択すればいいのだ。そんだけ。

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言葉は通じないもの

なぜ、喧嘩や聞き違いや勘違いが起こるのでしょうか。

「それは聞いていない」
「そんな事は言っていない」

 言葉というものが、実はそれほど大きな力を持っていないことに、物書きをしていて気付くことがあります。もちろん、ロマン主義的には「言霊」といって人の心の中心に言葉ありき、というような印象がありますが、どうでしょうか。
 そもそも、裏切られた、というのは、言葉が原因ではないかと思うことがあります。
 もし、言葉がそれほど確かであれば、本当は間違いや勘違いが生まれないのではないのでしょうか。

インド哲学では言葉は全てを表せないと説く

 ギーターやウパニシャッドを読んで、最初にインパクトを受けたのは、たとえば目に見えるものを全て言葉にすることはできない、という当たり前のことでした。ゆえに、言葉を信じるなと、言葉にしようとするなと、説明しようとするなと。
 正しいことは、全て自分の内側にあり、それを感じ取る事が必要なのであって、外側にあるものを探しても意味がない。ましてや、言葉を練って探しても無駄だと。

五感を静めなければ分からない

 人は五感を通したもので世の中を計ろうとします。五感に感じられないものは存在しないと考えるのです。ですから、魂の存在も確信が持てないし、運命というものの存在も確信が持てません。それゆえ、悩んだり悔しがったりするのだそうです。
 どうしたら、自分の役割や運命が見えるのでしょうか?

 瞑想は、そういった五感から生じる迷いを消し去る方法だそうです。具体的にはギーターの学習も瞑想であるし、スポーツに没頭することも瞑想であるし、座り続けることも瞑想だそうです。逆に、瞑想はこうでなければならない、という人は偽物だと、ギーターにもヨーガ・スートラにもウパニシャッドにも書かれています。いつの世にも、瞑想を指導する人が現れますが、注意が必要だと2000年前から言われています。

夢中になることだけが真実

 どの書物にも共通しているのが、真理を得るに何かをせよということではなく、無心で何かを行うことだとされています。つまり集中することが、最も重要だそうです。

 スポーツ選手も芸術家も、みな集中の達人です。そこに真理がありそうです。

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ポメラ使いこなしのコツ

ポメラDM200は本当に優れています。
痺れますね。

DM100はダイレクトキーがあって、あれも便利した。
直感的な操作ができました。

ところが、DM200にはダイレクトキーがありません。だから辞書を引くにはどうするんだっけ? などと迷いますよね。

DM200のショートカットキーの覚え方

何処に何があるかわからないDM200なのですが、すべてショートカットキーが割り当ててあるのはご存じの通りです。
それを覚えちゃうと、こりゃ便利。しかも思考が中断されないのです。
さて、そんな便利なショートカットキーなんですが、何がどれなんだか覚えられずに苦労しています。そこで、ショートカットキーの覚え方を考えてみました。

DM200ファンクションキー(F1~10)系

ファンクションキーには、よく使うであろう機能が割り当てられています。と言いつつ、僕はそんなに使わないですけどね。
付箋(F1)、タイムスタンプ(F2)の挿入系があって、あとはWindowsに準拠した検索(F3)。まぁ、使わないかな。

DM200のF8、F9、F10は覚えよう

この3つはよく使います。F8は縦書き横書きの切り替え。ブログやメールは横書きで、書籍や小説は縦書きです。F8は必須!

さらにF9も重要です。これはパネルの明るさ切り替え。出先や寝床など、明るさを変えた方が目に優しいっすよ。

F10は情報表示です。つまり、何文字書いたかが分かります。執筆時には常に確認するので、F10も多様します。

覚え方は「右指ファンクションは縦横情報」です。

DM200のF6とF7は文字の見え方

ついでですが、F6とF7は文字の見え方を覚えます。文字サイズの切り替えとフォント切り替えです。F7(フォント切り替え)が必要かどうか、かなり疑問なので、ほかの機能を割り当てた方がいいかもしれないです。

DM200のCtrl+ファンクション系は編集機能

Ctrl+ファンクションキーは、アウトラインだとか2画面表示だとか、編集に必要な便利機能が割り当ててあります。特にF1~F5までです。

F1:アウトライン
F2:2画面表示
F3:グリッド(背景表示)
F4:フレーム(文字詰め)
F5:行番号表示

これらは覚える必要がなくて、とりあえず叩いてみれば分かります。表示が変わるだけで編集内容には影響がないので叩けばいいのです。覚え方は「Ctrl+左指ファンクションで編集機能」

DM200のAlt+ファンクション系はツール

Alt+ファンクションキーには、様々なツールが割り当ててあります。
Alt+右指(F7~F10)が辞書です。
Alt+F1はカレンダーです。
Alt+F5でQRコード。

そのほか、Alt+アルファベットにはいろいろなツールがあります。

Alt+Uでアップロード
Alt+Sでポメラシンク

まあ、全部を覚えるというより、Ctlr+ファンクションが編集、Alt+ファンクションがツールと覚えればいいのではないでしょうか。
ショートカットキーを覚えると、執筆スピードが別世界になりますよ。
そうなると、思考中断が置きにくくなり、売れる作品になるはずです。

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自分には何か足りないと思う心

この世に生きている限り、心は落ち着きを持ちませんね。
何もないのに、そわそわしたり、不安だったり。

痴呆が進む僕のお袋も、どうして自分が不安なのか分からず、目に入るもの全てを疑い確認しようとします。しかし、目の前の不安を解消しても、根本的な不安は消えないので、何時までも不安探しをしているのです。それがお袋を常に苦しめています。地獄の中にいるように見えます。

本当に足りない訳ではない

インド哲学では、人の心は、常に何か足りない、と思わせるといいます。
それは常に静止できない肉体から生じるのが心であり、だから心は揺れ動くのだと言います。その揺れの中から、不足している、という心が生じるのだそうです。

足りないと思う心をカルターと呼びます

不足感は肉体が魂を騙そうとしているようなものだそうです。しかし、それは本当のことではないのです。お袋もそうです。何度も診察券はどこ? と確認をします。確認を幾度やっても安心できません。なぜなら、診察券が見当たらないことが不安なのではなく、不安だから不安だ、ということなのです。不安が先にあり、その原因を後から探しているのです。その最初にある不安(足りないと思う心)には原因がなく、無限に続いています。
カルターですね。

そういうときこそ、心に瞑想を与えてあげたいと思います。
でも、痴呆症の老人に瞑想を与えるにはどうしたらいいでしょうか?
誰か、教えてください。ああ、これもカルターですかね?

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インド哲学を学ぶ事は瞑想と同じ

インド哲学を勉強すると、魂と心を分離する事が出来るようになり、肉体をそのコントロール下に置く事ができる。

学ぶ瞑想で悩みの苦痛が減る

無意識に心の苦痛が魂から切り離されるので、ストレスがあっても気分は悪くならない。ただし、肉体的なストレスは消えた訳ではないので、養生は必要だ。ギーターにも、学ぶ事はヨーガであり瞑想だと書かれている。特別な姿勢や座り方が瞑想なのではなく、どこへ進むのかが瞑想である。ギーターより

チベット仏教はブッダの教えじゃない

ニュースサイトで、チベット仏教の僧侶が、他の宗教(ヒンズー教・キリスト教・イスラム教)に比べて、利己的で自己犠牲の精神がなかったという調査結果を出してた。そこで一言。

チベット仏教は、厳密には仏教じゃない

古代インドでは、バラモン教が支配していた社会にブッダが仏教を起こし、国の宗教となるほど栄えた。

それで対策を立てたのがバラモン教。文盲の下層階級にもわかりやすい教義を打ち出し、インドの全国民に布教した。それがヒンズー教。数多くの神を作り、それぞれの目的に合ったお祈りの仕方をするだけで、健康になったり、幸せになれたりするという教えだ。

それでヒンズー教が爆発的に増えた。
困ったのは仏教寺院。
先発の仏教は自分たちが不人気するのを恐れて、なんとセックス教義を取り入れた(セックス寺院があるのはこのため)。それで勢力を挽回したんだけど、風紀が乱れた為にインド仏教はインドを追い出される。

チベット仏教はラマ教の教義と融合=世界支配

チベットへ逃げたセックス仏教は、ラマ教と融合してチベット仏教になった。
チベット仏教の教義は、世界戦争をして世界を滅ぼし、自分たちだけ生き残って理想郷を作るというもの。
だから、チベット仏教の僧侶が利己的なのは当たり前なのだ。というか、歴史的には上記の通りで、現在はまともな仏教になったのかと思っていたけど、やっぱり糞仏教のままだ。

ダライ・ラマを崇拝する人、この歴史と精神性は重要だぜ。仲間や弟子や信者が殺されても自分だけ逃げちゃうのがダライ・ラマという事実は、この調査とも合致するね。
そんでもって、日本でチベット仏教を完全に取り入れて実行したのがオウム真理教。ポアっていう殺人を意味する言葉もチベット仏教用語だよ。オウム真理教がテロを起こした理由はチベット仏教の教え通りなのさ。

正当な仏教はスリランカ・タイ

そんでもって正当な仏教教義を伝承しているのはスリランカやタイの仏教。チベット仏教とは全然違うもの。これを学ばないとダメ。こっちで再調査してほしいなぁ。
ちなみに日本の仏教は、実はチベット仏教系。
ただし、中国人が偉かったのと、経典を持ち帰った空海もまた偉かったので、危ない教義(セックスと世界戦争)は秘儀として隠された。というか、門外不出。

日本の仏教は特別な純粋さを持つ

それ故に、日本の仏教は、悪い部分が削ぎ落とされ、思想的にはスリランカ・タイ仏教に近い。ただし、真言(呪文)を使うという点はチベット仏教が残っている。
これが仏教の歴史と基本なんだ。
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アウトラインプロセッサと目次立て

書籍を書く上で、プロとアマチュアの一番の違いは、先に目次を作っているかどうかにあります。雑誌のような大きな本の場合は、確実に目次が先にあり、しかも、ページ数まで細かく決めてから執筆が始まります。

ページ数が決まった目次は台割

ページ数まで決められている目次を編集部では「台割」と呼びます。
この台割の管理こそが雑誌や本が売れるかどうかを大きく左右します。
読者が読みたいものを多く、しかも、目立つ位置に置くなど工夫も凝らされます。

アウトラインプロセッサで目次立て

一人で本を書く場合、目次立てを上手にやらなくてはいけませんよね。
そこでアウトラインプロセッサを使うのがオススメです。
まず、目次の順序を自由に入れからながら目次立てを完成させる必要が出てきます。
それに最適なのがアウトラインプロセッサです。

Wordなどのワープロにはアウトラインプロセッサが搭載されています。まずは、それを利用します。でも、本当は専用アプリを使うのがベターです。その理由は、動作が機敏でストレスなく使えるからですよ。

僕はポメラDM200のアウトラインプロセッサを使っています。
最高峰のアプリはScrivenerです。iOS版の特にiPadで使うのがちょー便利です。
これもよく使います。
物書きになるなら、Scrivenerを使ってみるのをオススメしちゃうな。

IMG_0659カード型のアウトラインプロセッサも便利よん。

詳しくは、過去のブログ

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古代インド哲学における徳

インド映画「バーフバリ1・2」が非常に面白いです。
権力と徳の関係を非常にわかりやすく、しかも、素晴らしいエンターテインメントとして表現していますよ。

国を治める徳とは

このストーリーでは、生まれながらの身分を超えた「徳」がテーマになっています。国王が友人である奴隷を命がけで助ける姿が印象的に描かれています。
王家に生まれた者は、民を守ることこそが使命であると声高らかに宣言し、愛する者のためには身分も簡単に捨て去ります。
敵の侵入から国を守ることも、誰を殺すかではなく、いかに民を救うかという徳を見せつけてくれます。その結果、策略で王位を継承した新国王ではなく、民は平民に落ちた王子に従います。

インドの壮大さは世代を超える

この映画は、2世代に及ぶ壮大なスケールなのが特長です。
親子の情愛と権力、過ちと訓戒、民の尊敬を集めるという徳。
猛烈な強さと、それ以上の徳の高さ。

いやぁ、すごい。
簡単には語れません。
インド凄すぎ!

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本が書けるようになるコツ

本が書けるようになる

ブログやFacebookの記事は書けるし、それなりに評価もされている、でも、それを本にするにはどうしたら分からないという人が多いようです。
短い記事と書籍を書くということには、どれだけの差があるのでしょうか?
と思ってしまうと書けませんよね。

書籍化にはSNS記事を並べてみることも必要です

記事が書ければ本になります。これは信じて大丈夫です。
じゃあ、具体的にはどうしたらいいのでしょうか?
はい、まずは持ちネタの総チェック。過去の記事を並べてみることが必要です。
その中から、何が一番熱くボリュームがあるのかを見ます。
SNSの記事をまとめてみると、自分がどんな人間なのかが客観的に見えてきます。
その上で、書きたいことと見比べるのです。

目次化することが大切だ

過去の記事を並べて、それだけで目次になるかどうか、ちょっと見てみましょう。
なかなか目次とまでは進まないかな。でも、何かが見えるはず。

なんて、ちょっと漠然としたことを書いちゃった。
でも、自分の持っているネタって、以外に自分じゃ分からないものです。
自分が評価されていることと、自分が自分を評価したものには差があります。
好きなこと=評価されることなんてのは、とりあえず脇に置いておいて、自分の中にあるネタを並べることが、書籍を書く上で必須なのです。

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