明治維新の見直しをしているんだ。
会津藩士の家系であることを意識し始めたのは40代になってからなんだけど、その前から明治維新の正義感には生理的な違和感があったんだ。
そもそも、坂本龍馬(司馬遼太郎のフィクション上では坂本竜馬)が非常に胡散臭い。司馬遼太郎氏にしても、歴史上の実在人物とは音は同じだが表記はあえて別にしている点からしても、「竜馬が行く」などの小説と史実は別物であることを暗に示している。著者ご本人にしても、インタビューで坂本竜馬(作品上の人物)について聞かれると、いつも苦笑いで話をそらしていたというのは良く聞く話だ。
そして史実上の坂本龍馬(実在)は、イギリスのグラバー照会に出入りしていた人間で、そこで武器の密売に係わっていたというのは、様々な資料から確認できる。このグラバーという人物は、長崎に巨大な庭園付き邸宅を構えており、幕末以降、相当な利益を上げていたことは誰の目にも明らかだ。
このグラバー商会というのは、中国(清国)でアヘン戦争の裏で暗躍していた武器商人であるジャーディン・マセソン商会の日本支社である。当時のイギリス政府御用達のアジア侵略企業だ。
さて、そういったバックを備えた坂本龍馬が長州と薩摩の軍事同盟を行ったというとんでもない話が教科書にまで載っているのだが、2つの点でおかしいのだ。
1つは、薩長同盟の証拠がないのだ。実は六箇条の覚え書きというのが結ばれたのだが、その内容は、
①幕府軍が長州に攻め込んだ場合には薩摩は(たったの)2000人の兵を送る。
②長州が負けそうになった場合には、長州の滅亡を防ぐために薩摩が朝廷に働きかけること。
③長州に勝機が見えたら、薩摩は朝敵となっている長州の復権工作をする。
④(幕府vs長州の)開戦に至らず、幕府軍が江戸に戻った場合は、長州征伐は終了したと見なして、薩摩は長州の復権を工作する。
⑤開戦に至らずに幕府軍が引かなかった場合、会津・桑名との一戦を覚悟する(つまり2000名の兵を出せ)。
⑥長州の朝敵という汚名が取り除かれた時には、諸大名が国政に参加できる体制を目指すこと。
これを見れば、薩長同盟なるものは、諸外国に侵略されないためとか、天皇に権力を戻すとか、そんな話はまったくなく、単に長州が頑張るから薩摩は後押ししてね、と言う程度だ。薩摩は見返りとして、貧困していた藩をなんとかしたいという程度で、そもそも武器などの密貿易で生きてきた薩摩藩としては、坂本龍馬のバックにいる武器商人グラバーと仲良くして武器で儲けたかった程度の話だろう。
そして、この薩摩、そもそも政府側の代表として長州に対峙していたにも係わらず、敵側の長州とこんな密約を結ぶ嘘つきなのである。しかも、その理由は、教科書に載っているような崇高な理念など、6箇条には全く見受けられない。長州の復権しか目的がないのだ。
「勝てば官軍」
とは、京都で天皇の暗殺や誘拐、テロを企てていた長州の下級武士と、本来は政府を守る立場にあった薩摩の大嘘つきであっても、イギリスの侵略目的がアヘン戦争でも明らかなのに、そのイギリスと手を結んでクーデターを企てた最悪の人格を持つ2つの藩であっても、勝てば何でも許されるという意味なのだ。