霊感に導かれて、会津から江戸へ2

<2日目は台風の中、図書館で霊感な出会い>

図書館へ行きなさい、というのが初日に印象的だった言葉です。
ですから、ホテルにチェックインしたときに朝食は何時にしましょうか、と聞かれて、
「図書館は何時に開きますか?」
と返す。
フロントマンが調べてくれて9時会館。
「では、7時に朝食を」

ということで、初日の夜は劇的に美味しい夕飯バイキングと温泉でのんびり。

2日目の朝、台風が酷くて、あちこちが洪水だそうです。
でも、会津若松は普通の雨って感じ。

図書館はホテルから10分ほどで、ラッキーなことに駐車場は地下。雨にも濡れずに館内へ。

<司書の若いお嬢様が、あっという間に見つけてくれた>

さて、図書館へ着いて受付で、
「ご先祖様を見つけに来ました」
というと、土地柄だけあって、またか、という顔。
「事前に調査依頼は?」
へー、そんなことが出来たんだ。
「いいえ、でも、姓名も役職も分かります」
と告げると、専門の司書さんを紹介してくれた。そらく20代の綺麗な女性。
「金澤定吉という名前だそうです。明治維新の時には普請方だと聞いています」
お嬢ちゃん、それをメモして、書棚へ一直線。武家の名簿目録ってのがあって、
「金澤家って、たしか一軒しかなかったと思います」
え? なんでそんなことまで知っているの? すげぇ。

目録を開くと、確かに一軒しかありません。
「金澤治左衛門成昌」
これが会津藩に召し抱えられた一番最初の金澤家の人。安永9年6月(1780年)だそうです。時代は第5代藩主容頌さまが藩主となったころ。先代までの財政混乱と飢饉で、会津藩は崩壊の危機に、この殿様になり、名家老:田中玄宰を登用して政治改革!
不正役人を首にしたり、敏腕役人を各農村へ送ったり、藩校を作ったり、朝鮮人参を作って売ったりと、あっという間に財政再建! この一番面白そうな時代に、我がご先祖様は会津藩に仕えることになったようです。殿様と家老の名コンビで今の会津藩の反映の基礎を作ったわけです。
その時代に雇われたのが金澤家だったのです。

司書のお嬢様が持ってきてくれた【諸士系譜目録】から分かるのは、ここまで。
これをコピーしていると、お嬢様が、さらにぶ厚い資料を持ってきてくれた。
それは、先ほどの目録の原本で、古文書です。筆のニョロニョロ書き! しかも、我が金澤家のページは長い! 20ページも続いている!

 途方に暮れて、コピーを見つめる僕、すると思わぬ展開が!

(つづく)

 

桜風涼 について

はるかぜ すずし
1965年生、慶應義塾大学法学部卒。
作家・脚本家
日本児童文芸家協会会員
シナリオセンター修了

大学時代の専攻は、犯罪学・被害者学・刑事政策・法医学など。
特に法医学は、筆者が学んだ年のみ、慶應の医学部で授業が行われ、よりリアルな研究を行った。
特に法医学では、期末試験のために、教えた教授が筆者にノートを借りたほどの熱心さ。
その1年間の授業をまとめたノートは五冊にも及ぶ。
当時の写真資料は、すべて手書きの図版に書き起こされているほど、法医学への熱はすごい。

1996年、ソネット・クリエーターズ・ガレージ最優秀賞
2003年、劇場映画【ベースボールキッズ】で文部科学省選定作品
2005年、同上、小説「ベースボールキッズ】出版
その他、著書多数。
2000年より映像作品が多く、テレビ番組、CM、映画などで活躍。

1995-2000年:コンピューター雑誌のライターとして、多い時期で月に14連載をもつ人気。
技術書の執筆は15冊。

2000~は映像が主流に。
映画監督、テレビディレクター、CMプランナーとしても有名。
2009年前後は、年間200本ちかいCMを制作していた。
また、旅番組では電波少年で有名になった「なすび」と共に、数多くの名所を探訪。
温泉にも造詣が深い。

雑誌やテレビ制作を数多く手がける一方で、小説は地道に書き続けている。

著者インタビューを受けました。
「きんどるどうでしょう」
http://kindou.info/7229.html

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