最新Kindle端末

Kindle Voyageが壊れて、サポートに連絡したところ、新品を15%割引にしてくれるという事で、最新端末のoasisを購入したんだ。

びっくりするくらい快適

かなり横幅が広がったんだけど、重量がほとんど増えていないのと、重心が片側の寄ったので、持ちやすいんだ。パネルが7インチから8インチに上がっているんだよ。縦の長さは変わらないので、横幅だけ広がったということです。インチ表示は、対角線の長さで示されているので、実際の幅は1センチぐらい広がったということです。さらに右端が、2センチほどの広さがあります。これも持ちやすさを向上させています。

ページめくりボタンが付きました

ページめくり用の物理ボタンが付きました。これが非常に直感的で、使いやすいです。さて右利きにはいいんですけど左利きにはどうでしょうか?

実は左利きでも大丈夫です。左手で持つと、画面の上下反転します。ですから右でもっても左でもっても同じ操作感覚になります。

値段が高すぎ

このモデルは、32 GB搭載、Wi-Fiと3Gが付いています。キャンペン表示なしなので、価格は約45,000円。本を読むだけの端末なので、極端に価格が高いような気がします。ただし、完全防水なので、お風呂の中でのんびり本が読めるのは本当に楽しいです。

できれば、音声入力のメモがついてくれていれば、もう言うことなしです。

価格を気にしなければお勧めです

とにかく価格が高すぎます。でもこの快適さは、歴代のKindle端末の中ではずば抜けています。なので、本当の読書好きであれば、ぜひぜひ使ってみていただきたいと思います。

理系本・サブタイトル集

書いている理系本(理系にしか読めない本)のサブテーマを並べて起きます。

  1. 「他人に理解されない特別な君へ」
  2. 「考えを変えられない人たちについて」
  3. 「思うだけで全てが分かる君へ」
  4. 「夢は宇宙に近いのか」

ほら、理系の大好物ばかりでしょ。

理系人間に褒められた

理系人間が集まると、誰がどれだけ凄いかという事がハッキリ見えるんだ。
それは小さい時から感じる。ちょうどスポーツ選手が相手の力量を見抜くようなものだ。
ひょっとすると、理系素養というのは、スポーツと同じなのかもしれないと思うんだ。

さて、「理系にしか読めない本『文系を理解し、操縦する方法』」という本が1月3日に発売になり、さっそく我が人生でも最も理系で優れていると思える友人が読んで、感想をFacebookに上げてくれた。

>早速読ませていただきました。あと3、40年くらい早くこの本に出合っていたら、自分の人生はだいぶ変わっていたかもしれないな。

今後の参考にさせていただきます。

ありがたいなぁ。

もう1人、僕の小説に出てくる愛すべき理系人間のM氏も早速読んでくれて、分かりやすいと喜んでいる。

やはり、理系のために書くことが、今年のテーマですな。
さて、次のリリースはいつか? 実は新刊は2年ぶりになってしまっている。今年は理系本を10冊くらい書きたいなぁ。

理系にしか読めない文学「地球を滅ぼす普通の人」の一節

書き始めた新ジャンルの一節をちょいと紹介しておきます。

自分と他人のフィルター

 他人に起きたことと、自分に起きたことを同じように定量できるだろうか? これは非常に難しい。他人に起きた事は客観的に見られるのに、なぜか自分に起きた事にはある種のフィルターがかかってしまう。なぜだろうか?

この事は当たり前のように思っている。しかし、よく考えてみると不思議である。例えば誰かの親が死ぬ、そして自分の親が死ぬ。同じように感じられないのはなぜだろうか?

心は内向きと外向きがあるのか

一般論として、他人事と自分の事には大きな隔たりがある。それを定量的に考える人はあまり見かけない。では、あえて定量的に考えてみようじゃないか。

まず、外から入っている情報とは何か。五感を通して脳に入る。入ってくる情報量が同じでも、人によってそれを認知できる量が異なることは容易に想像できるだろう。つまり、入ってくる量に対して受け入れる量が異なるわけだ。同じ人間でも、体調や気分、入ってくる情報の性質によって受け入れ方に差が生じる。その現象を分解整理してみた。

  1. 入ってくる量を「入量」としよう。
  2. 受け入れた量を「感量」としておこう。

  3. その感量に対して、頭の中で色々な思いが生じる。その量を「思量」としよう。

  4. その思量に対して、何か行動したり、反応したりするが、それを「出量」としよう。

さて、他人を観察する場合、他人からは1と4しか見えない。しかし、これだけでも定量化できる。さらに、「入量」と「出量」の大きさだけでなく、2つの現象の間の時間量がある。ここで他人を観察して分かる事を書いておく。

パターン①「入量>出量」

パターン②「入量<出量」

お分かりだろうか? 具体的に言えば、会話の中で、沢山の話をしないと相手の返答が来ないのがパターン①だ。逆に、1言えば10帰ってくるのがパターン②だ。これを数学的に読み解くとどうなるだろうか?

微分型と積分型の人間がいる

そう、お分かりだろう。パターン①は、多くの情報を集めないと行動しない人間で、脳が積分型の回路になっているように見える。一方のパターン②は会話の微分量に応じて出量が変化する。つまり、微分型の人間だ。

さらに、入量から出量までのタイムラグをみると、すぐに反応するタイプとゆっくり反応するタイプがある。頭の回転の良し悪しと言って良いだろう。

実は、この分類は櫻井知育研究所の櫻井先生が提唱しているものだ。2・3歳児の観察で、上記の分類に気づいたとのこと。つまり、人間は生まれながらに脳の反応の仕方が違うらしいのだ。

自分の中でさらに定量化してみる

さて、人間には積分型と微分型の人間がいることがわかった。さて、最初の定義を思い返してみる。入量に対して認知できた量である「感量」があった。

「入量=感量」であれば理想的だが、実際には「入量>感量」だ。つまり、人間は五感に入ったものを全て認識できるわけではない。では、何%が受け入れられるのか。これも個人差があり、年齢によるバイアスもかかるだろう。しかし、ここまではかなり物理的な問題だと思える。要するに、認知する脳の性能の問題だ。

さて、問題は感量に対して、それをどう考えるのかという「思量」だ。どんなパターンが考えられるだろうか?

パターン③「感量>思量」

パターン④「感量<思量」

パターン③は、頭に入ってきた情報量に対して、頭の中で考える情報量が少ないパターンだ。

ほら、理系しか読めない文学でしょ! いひひ
・・絶賛執筆中・・

物書き歴30年、ストーリー・本の書き方・キャンピングカーのことを書いてます。