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ラジャスな人と会話したら体調が悪い

久々に、完全なラジャスな人と会話した。
いやぁ、別に会話自体は昔話だったり、仕事の近況だったり、大した話じゃなかったし、雰囲気も普通。
でも、疲れ切った。コロナにかかったんじゃないかと思うほど。
会ってはいけない人が世の中にはいるんだね。

ライフワーク:インド哲学の研究

ライフワークとして古代インド哲学の研究をしているんだ。
もちろん、本を書いている。
インド哲学で現代社会を見てみると、自分が何をしたら良いのか、なぜ、これまで成功したり失敗したりしたのかが理解でできる。

古代の思想ということで、有効性に疑問を持つ人もいるかも知れないが、数学の基礎が紀元前に成立しているのと同じで、物事の考え方の基礎が紀元前に確立していることは認めても良いのではないかと思う。
というよりも、人間の身体、精神世界は何千年経っても全く変わっていないので、古い時代に発見されたことが今でも通用するのは当然だろう。

魂と物質という考え方

古代インド哲学では、人間は物質としての身体と、生物と非生物(単なるもの)のの違いを、魂というような概念の存在で考えている。つまり、生きているものは単なるものでは無く、そこには魂があると考えた。

人間は、魂の周りに物質が集まって出来ている。魂は不変で生まれることも死ぬこともない。生まれて死ぬのは物質である身体だということだ。そして、この世の中は物質が主役になっており、人間の運命や人生というのは、物質である身体で行われている。

魂は物質である身体を乗り物として、物質社会の中を旅している。
しかし、その乗り物は窓も扉もない。魂は五感を通してそれを見聞きしているだけだ。
しかし、五感は物事を正しく伝えない。例えばニンジンを好きな人はニンジンを美味しいと感じるが、嫌いな人は不味いと感じる。だが、ニンジンの味は同じだ。この差は、五感が味を歪めて魂へ伝えているのだと考えるしか無い。

インド哲学では、肉体のこうした勝手な振る舞いは、物質である肉体の暴走だと考える。その暴走がなぜ起こるかというと、生まれ持っている物質の性質と、生活を通して蓄積される記憶が作用しているという。

インド哲学の研究は、日本では仏教の影響を強く受けている

インド哲学の研究は大学等で盛んに行われている。特に、近年はヨガや瞑想の流行もあって、様々な人の様々なアプローチや解釈が試みられてる。

特に日本では仏教用語で古代インド哲学を解釈する傾向がある。実は、仏教は古代インド哲学をベースに、それをお釈迦様が分かりやすく解釈したものだと考えられている。つまり、釈迦の教えのほとんどがインド哲学そのままである。

ただし、後発である仏教は古代インド哲学を発展させているので、古代インド哲学を分析するに当たって、仏教用語が都合が良い一方で、西暦700年以降にヒンズー教と仏教が融合した密教の考え方も加わっている。密教は、ヒンズー教の神様を仏像として崇める宗派で、純粋なお釈迦様の教えから広がっている。つまり、哲学の教えであったブッダの仏教(古代仏教)に対して、密教は呪術的色彩が強い。それゆえ、密教で古代インド哲学を説明しようとすると、哲学ではない概念が含まれてくる。

科学的アプローチを試みたい

そこで小生は、プリミティブな古代インド哲学を見出したいと思っている。つまり、後の世に色々な会社をされている概念ではなく、原典を読み解くことで、純粋(プリミティブ=基本的な姿)な古代インド哲学を見出す、これをライフワークにしたいと、ここ10年ほど研究や修業(体験)を繰り返している。

現在、それを本にまとめているが、純粋な研究本と、もう少し実用的な本を同時に書き進めている。書いた文章量はすでに40万字を超えてしまったが、まだまだ終わりそうにない。

でも、楽しいね。

執筆には一太郎が圧倒的に良い

昨日はUMPCと一太郎で4万字も書いてしまった。
執筆ルールは一太郎。とにかくかゆいところに必ずツールがあるって感じだなぁ。
今年で35周年の一太郎だけど、僕はVer1から使っているなぁ。
35年間で非常に進化している。というか、DOS時代の名残もちゃんと生きていて、キーボードだけで何でも出来るし、非常に動作が軽い。

作図から付箋からグラフからなんでも

執筆に必要なツールが満載されているのが一太郎の最上位バージョン「プラチナ」。とにかく良く出来ている。
作図は花子行うことも出来るし、一太郎上にも作図ツールが搭載されている。グラフを作ることも出来るし、写真を張り込むのはもちろん、まぁ、Wordで出来ることは全部できるんだけど、とにかく軽い。

などなど、良いところを書き切れないんだけど、とにかく、一太郎だけあれば執筆が快適にできるってことですな。

自動記述テンプレートで書籍の設計中

バガヴァッド・ギーターの解説本を書き始めたんだけど、全18章+解説3章のうち、まだ5章しか書けていないのにすでに6万字。終わりが見えないし、どうもまとまらないっす。
ああ、自動記述テンプレートを使って構成をしっかり作れば良かった。設計図なしに書いちゃ駄目ですね。

もっと軽い新作を書いておこう

ギーターはライフワークになりそうな気もする(大げさか)ので、もうちょっと軽い本を書いて生活の足しにしないと死んじゃう。
そこで自動記述テンプレートで設計開始。やっぱり設計図がないとダメダメよね。

演出と執筆に忙しい

コロナ自粛があけて、プロデュースや演出の仕事が続々と入って来ている。粛々とこなそう。
その一方で、インド哲学の執筆は絶好調だ。
UMPC(GPD Pocket 2)で書いているが、非常にいい。MacやiPadと異なり、細かい部分で調整しないと使いやすくならないのがWindowsだが、設定がこなれてくると非常に使いやすい。
小さなノートPCで、サイズ的にはポメラDM30と変わらない。キーボードはちょっと小ぶりで特殊配列なので慣れるのに苦労したぞ。

一日1万字執筆も問題なし

執筆では、一日1万字以上を書いているが、全く問題がない。キーボードもしっかりしているので、ノリノリで書いているときのハードな打鍵でもちゃんとついてくる。バッテリーの持ちも十分。執筆だけなら8時間近く動作してくれる。これはiPad Pro 12.9″と変わらない。しかも、充電はこちらの方が速いのでいい。

インド哲学の本を書いているわけだが、サンスクリット語英語のふりーの辞書を入れている。Windowsはこういう無料アプリがあるのでありがたい。本当は、ここの英英辞書を入れたいのだが、辞書ファイルが見つからないなぁ。サンスクリット語英語はすぐに見つかったのになぁ。まぁ、ゆっくりと探せば良いか。

ギーターの解説本を書いているぞ

UMPCが非常に調子が良いので、ちょっと長くなりそうな本を書き始めたぞ。バガヴァッド・ギーターの解説本ね。
もう、10年以上も研究を続けているんだ。ギーターの後に編纂されたウパニシャッドも読み込んでいるので、かなり良い本になると思う。
誰にでも分かるように、非常に平易なエッセイ風に書くことにしている。ギーターを理解するのに必要な最低限の知識を先に読んでもらい、その後でギーターを解説する形式でいこう。

ギーターは、インド哲学の全てを網羅していると言われていて、内容は叙事詩。つまり、日本書紀みたいな感じで、百戦百勝の武将アルジュナ王子と創造神の化身であるクリシュナの問答集になっている。
ギーターは紀元前500年くらいの編纂された書物マハーバーラタの一部分なんだけど、この本は世界最大の叙事詩。内容は哲学的・宗教的な話が満載で、当時の知識層は必ず読んでいるものだ。紀元前500年というと釈迦が活躍した時代で、仏教思想はこのインド哲学をベースにしている。つまり、ギーターなどが示す思想を実生活で使えるようにしたの釈迦で、それが仏教、お経になったということだね。
例えば輪廻転生とか極楽浄土の考え方の基礎がインド哲学というわけさ。

ということですでに1万5千文字を執筆し終わっている。おそらく100万文字を超える本になると思う。

GPD Pocket2ssdで長時間執筆

本日は馴染みの喫茶店で執筆。みっちり3時間半の執筆でバッテリー残量は55%。途中、ネット接続で調べ物もしている。つまり執筆であれば8時間程度は連続で使える。
Windowsのバッテリー設定はパフォーマンス最低モード。冷却ファンは抑止モード。ちなみにこのマシンは、ファンのオンオフスイッチがあるんだけど、オフの状態でも完全にファンが止まるわけではなく、最低限度の冷却が行われる。この状態でCPU温度は50度を超えることはない。

GPD Pocket 2で一日1万字執筆

UMPCであるGPD Pocket 2を10日ほど使ってきた。
ATOKを入れてあり、一日の執筆文字数などが簡単に把握できるのだが、ブログやFacebookを含めて一日の執筆量は1万字以上になっている。

キーボードにも慣れた

小さなマシンだけあって、キーボードのキー配置が特殊だったために、入力に慣れが必要だった。10日ほど経ってほぼ自由に高速に入力が出来るようになった。今日が月曜日だが先週の金曜日(購入後一週間)で入力文字数が一日当たり1万文字を超えてきた。特殊なキー配置なので、指のポジションも変則的になる。いわゆるホームポジション指を置くのではなく、左手薬指をAキーに置いて左手中指がEキー。右手は比較的フリーで特に何処に置くということもなく、基本的には母音が簡単に押せる位置に浮かしている。

要するに、両手とも小指は使わないのだ。この打ち方はIBMのウルトラマンPC(PC110)を使っていたときに見出した入力方法で、小さなキーボードを高速に打つときのやり方だ。動かす指が左右とも3本なので、指同士が邪魔をしあわないので高速に入力することが出来るのだ。しかも、普通のキーボードに戻ったときには普通のホームポジションでの入力になるので、比較的混乱することなく執筆することができる。
つまり、変則キーボードをいつもと同じような指使いで入力するのではなくて、あえて別の指使いにすることで自分の中での混乱をなるべく避けようとという考え方だ。
まぁ、いずれにせよ、GPDの小さなキーボードでは4本指をホームポジションに置くには無理があるので、3本指入力は非常に理にかなっていると思う。

実は三本指入力にあえて変えたと言うよりも、一週間も入力しているうちに、指が勝手にその位置に動いていったという方が正しいだろう。二十年以上前にやっていた指使いだが、自転車の運転と同じように、体が勝手に覚えていたらしい。
つまり、1万文字を超えたくらいから、気付くと昔やっていていた入力方法になっていたというのが正しい。
人間の体とは不思議なものだ。

脚本用の自動記述テンプレート

実用本の自動記述テンプレートの評判が良いので、次は脚本用のテンプレートを開発しようと思うんだ。
映画には香盤表ってのがあって、その日の撮影のシーンや場所、出演者や道具類などが一目瞭然になっている。

これを発展させるとストーリーのテンプレートに出来そうな予感。
まぁ、予感ね。
これまで脚本は40本くらい書いてきたかなぁ、もっとかなぁ。
ドラマじゃないストーリー仕立てのプロモーションまで入れると数百になっちゃうので、それなりに数をこなしている。これをテンプレートにするとしよう。

総尺が決まっているテレビドラマなら、シーン数も固定で良いんじゃないかと思うしなぁ。ロケ場所の数や切り返しの数が一目瞭然になると、予算管理もできるし。

などなど、作りますかね。

UMPC vs iPad pro

執筆環境としてUMPCを導入したんだけど、ここでiPad Pro 12.9″戸の比較をしておこう。
iPadは非常に優秀で、スマートキーボードを使うとかなり快適な執筆環境になることは事実。ここ5年ほどはiPadで執筆をしてきた。でも、決定的な欠点は日本語入力が駄目過ぎる点にある。勝手に予測変換を入れてくるので、勝手に助詞がついかされていたりする。後で文字校正するのに苦労させられるのだ。短い文章であれば問題ないが、ノリノリで長文を書いていると、後で校正してみると酷い状態になっていることが多い。これは致命的だ。

さて、UMPCだとどうか。Windowsなので、文字入力に関してはIMEを自由に選べるし、IMEのチューニングも自分で出来る。ATOKに関しては賛否両論あるのだが、物書きとしては連文節変換はあまり重視しないのでどうでもいい。前にも書いたが単文節変換がほとんどなので問題が無い。その一方でATOKの様々な文書作成支援ツールは便利だ。ATOKイミクルは非常に便利で、簡単に大辞林で意味や類語を検索できる。医学用語などの専門辞書も別売りで用意されているが、小生は使っていない。
クイックパッドというソフトウェアキーボードも便利で、顔文字一覧が出てくるなど入力支援も充実している。

UMPC と iPad Pro どちらがいい?

結論を言えば、価格的にも性能的にも執筆にはUMPCをオススメしたい。ただし、執筆環境を整えるのには別途にアプリ費用がかさむ。執筆専用のO’s Editorが2000円程度、これは安いから良い。ATOKだが、諸々のツール(読み上げアプリや大辞林など)を別々に揃えるなら思い切って一太郎のプラチナ版を購入するべきだ。最終的にKindleなどの電子書籍やオンデマンド印刷の版下PDFを作るには、一太郎クラスの日本語に特化しかワープロアプリが必須だし。
でも、一太郎のプラチナ版は3万円程度。UMPCが6万円弱で、一太郎まで買うと10万円弱に及ぶ。でも、iPad Proもけっこう高価だから、執筆用に「縦式」などを購入したりすると似たような価格になる。

ということで、僕としてはUMPCを執筆マシンとして推奨したい。キーボードが変な配置なので、そこは苦労するかも知れないが、これは慣れなので大きな問題と小生は考えていない。UMPCを使い始めて一週間だが、やっとキーボードに慣れてきて高速入力が出来るようになってきた。あと一週間もしたら1日2万字ペースの執筆ができるようになると思うぞ。