アイデアは面白いのに

アイデアは面白かったのに、書いてみると面白くないということがよくありますよね。

文章が上手くなればいいのか?

若い時には、それは書く技術が乏しいからだと思って、文章の練習をたくさんしました。幸いにも若い時から雑誌の仕事があったので、かなり鍛えられました。

でも、あまり関係ありませんね。
文章が上手くなると、面白くないことでも面白く書けます。
雑誌に取り上げるネタなんてものは、面白くないのです。それが面白く思えるのは書き手や編集者の腕です。

アイデアが面白いというのは思い込み?

次に思うのが、もともとアイデア自体が面白くなかったんじゃないか、ということです。つまり、自分で面白いと思い込んでいるだけで、本当は大したアイデアじゃないだろうということです。

確かに、それはそうかもしれません。
長い間、僕は頭の中にあるアイデアというのは、自分が思うほど面白いものじゃない、と考えてきました。若手の脚本家などにも、そう教えてきました。

でもなぁ、やっぱり、ふいに思いついたアイデアって、実は本当に面白いですよねぇ。

言葉の限界を知ろう

最近、インド哲学に凝っているというか、サンスクリット語も学んでみると、実は頭の中にあるアイデアこそが最高で、それを言葉にすると面白くないということなんだと気付きました。

いえいえ、文章力が足りないという話じゃないのです。
たとえば目に映る景色を言葉にしよとしても、結局は無理がありますよね。大自然を見る時、目には何百何千何億もの物が目に映っています。でも、それを言葉にすると「素晴らしい」「美しい」「これまで見たこともない」なんてことになっちゃう。そうかと言って「右上の雲は白から灰色に変化しつつ北から南へ時速15キロで流れており、その下には杉が80%の森林があり」なんて書き続けても、決してその景色を見た瞬間の思いは伝えられません。 これは言葉の持つ限界ですね。

アイデアは面白いを信じよう

ということは、自分の中にあるアイデアも大自然の景色も同じじゃないでしょうか。
本当はすごく面白いのに、それを言葉にするのが難しい、そういうことです。

では、どうしたらいいのか。
景色を表現する場合、上記のように「右上は~」なんて描写しても駄目ですね。じゃあ、どうするのか。読者の頭の中にある典型的な「美しい景色」を思い出させるしかないですよね。 つまり、自分の中にある「美しい景色」は見せられないかわりに、相手の頭の中にある「美しい景色」を思い出させる。
ここがポイントです。

無我夢中の執筆感覚

たとえば、
「日本なのに、カリフォルニアの海辺のような空が富士山を覆う」
と書けば、まぁ、相当な青空をイメージできますよね。

でも、これも、まぁ、文章力という技術でしかありません。
気に入った作家の文章を写本でもすれば、身につくと思うのです。

でも、それでも自分のアイデアを言葉にするには、きっと足りないものがあると思うのです。

実は、それは無意識に出た言葉、だと分かってきました。
頭を使って書く、つまり、他の作家の言い回しや資料をベースに書くと、それは先ほどの言葉の限界にぶつかってしまいます。
ところが、小さな子供が何気なく言った言葉なんていうのは、胸に刺さって抜けないくらいですよね。

つまり、何気なく出る言葉を捕らえることが重要なんだと思うのです。
じゃあ、どうやったら何気なく言葉が出るのか。
過去の自分を見てみると、無我夢中で書いた原稿には、そういった何気ない言葉が入っていました。

つまり、無我夢中になるほど、執筆に集中できないと駄目なのです。

ポメラが壊れるほどキー叩け

じゃあ、具体的にどうすれば良いのか。
僕が最も原稿をたくさん書いていた時期は、1ヶ月の連載が14本あって、一ヶ月に書く文字数は40万字くらいでした。取材もありますから、書いている日数は15日くらいかなぁ。ということは1日に2~3万字は書いていますね。
そのくらい書いていると、頭で考えるよりも速く文字を書きます。文字を書くというか、キーを叩くわけです。しかも、ローマ字入力ですから、打鍵は文字数の2倍以上ですよね。 当時はThinkPad230だったかなぁ。IBMのノートパソコンはキーボードが良かったので、愛用していました。そのくらい書くとキートップはつるつるです。 今、僕のポメラDM200も、そうな風になりそうな予感。文章を売ってはEnterキーで確定。確定はハードヒット。気持ちいい!

キートップが禿げるほど叩くと、きっと無意識の言葉、つまり本当のアイデアが文字になるのではないかと思います。

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